こんにちは
赤穂市の進学個別指導塾Willbeの光庵です。
中高の同窓会や大学の友人と会った際に、幼児から高校生まで対象にした塾をやってると伝えると、「何か幼児のうちからやってたほうが良いことはありますか?」と聞かれることが多くなりました。同世代が第3次出産期でもあります笑
やった方が良いことを話し出すと長くなるので、そういう時は「やっては行けないことを話した方が速い」と伝えて「タブレットを与えるのは、限界を超えるまで我慢しておくべきだ」と伝えるようにしています。
タブレット自体が悪いのではないのですが、小さなお子様とはいろんな意味で相性が合わない気がいたします。
○○はやるべきだ!よりも○○はしないでおこう!という話をご家族で決められた方が、分かりやすいのではないかと思っていたりします。やった方が良い子とは無限にあります。昔と比べて習い後の種類や誘惑の種類も増えています。
今日はそんなお話です。
YouTubeやスマホの危険
不得意強化も栄養素
幼児を育てている時に、好きなモノ以外は食べさせなくて良い、お腹いっぱいにしていれば良いとする考え方は、子どものためになるのでしょうか?
(カレーと焼肉しか食べないイチローの話などは無視してください、食事が問題という言いたいわけではありません。)
多くの食材を食べて、栄養のバランスを取らなければ、身体の成長を阻害すると考えるのが普通なのではないでしょうか?
人間は、オオカミの群れの中で育てられたらオオカミとして育ちます。成長してから人間の世界に戻っても通常と同じ人間と同じ能力を身につけることはありません。(オオカミに育てられた人間の事例は、事実としては懐疑的な側面が多いですが笑)人間には、明らかに、子どものうちに身につけておかなければ二度と獲得できなくなる能力があるのです。
私達が持っておきたい意識としては、子どものうちに学ばなければ手遅れになることの範囲が、まだまだ科学では解明しきれていないということと、私たちのような凡人が解明されていることのすべてを把握しながら子育てを行うのは不可能だということです。
それが不可能な以上、なるべく多くの種類の食物を食べることが必要であるように、知的成長にとってもなるべく多くのことが重要です。
人間と他の動物を決定的に分ける能力の1つが言葉です。なかでも母語の獲得が重要です。そして、もう1つが「数」の概念を獲得することです。これは、算数/数学言葉の中にも、子どものうちに身につけなければ、一生獲得できないものがあることを意味しています。
だからこそ、すべての国で、算数/数学/国語(母語)が小学校や中学校で教えられているのだと思います。
たとえ、嫌いな科目があっても子どものうちに勉強し、努力をしておいて欲しい。やったけど不得意である。やったけど忘れた。このことと一度もやったことがないというのでは、天と地ほどの差がある。前者はやり直すことが出来、後者はやり直すことが出来ません。
大人が勉強に楽しみを見いだせたり、大人が大人になって新しい趣味を見出せたりするのも、まったく知らない世界ではないからなのでしょう。
不得意な科目を得意な科目を変える努力や経験から学ぶものは知的にも精神的にも計り知れないほど大きいのです。数学はものにするには相当な努力が必要な科目です。繰り返し練習しなければ身につかない。社会などと比べて非効率で消化吸収が楽ではないと思うのです。
動画とYouTubeしか見ない子
ティックトックやYoutubeでショート動画が流行っています。強い刺激を一気に与え短くまとめる動画です。人は強い刺激になれると、強い刺激にしか反応できなくなります。優しい刺激や細やかで繊細な刺激には反応しなくなってしまいます。
言わずもがな、YouTubeやティックトックを見続けていると、同じような動画しか登場してきません。様々な栄養を取ることが出来ないのです。
強い刺激にしか反応しない状態を、無気力と言うのやもしれません。YouTubeやティックトックにしか、反応できないならば、違うものに興味をしめす多くの栄養を取得する習慣を失います。
先ほどのオオカミの事例は、いまでは「ネグレクト」といった状態/環境に近いと言った方が事実のようであります。ネグレクトが子どもを無気力にするならば、小さな時の強い刺激はやはり良くはないのです。
小さなお子様の時間の流れは、ゆっくり流れています。人間と他の動物との違いをもう一つ上げれば、「成人するまでの時間」です。人間は10年以上かけて成人します。
ゆっくりゆっくり観察して、ゆっくりゆっくり脳みそを育てていきます。
大人でさえ、一気に強い刺激を大量に与えてしまえば、脳がフリーズします。Todoリストに囲まれて何もしたくない気持ちでいっぱいになります。
小さなお子様に、一気に強い刺激を与え続けるスマホが、お子様の成長にとって良いはずがないのです。
まとめ
・いろんな経験はするべき
「たくさんの習い事をする」という意味ではなく、小さいお子様は一度に大量の情報処理を行うことが不可能なのだから、ゆっくりとじっくりと緩やかな時間のなかで、熱中することで、様々なことを経験する。
・とはいえ、YouTubeやショート動画を長時間みていても、熱中しているわけではないので、実は様々な体験をしているわけではない。
・強い刺激でしか反応できないならば、細やかで繊細な言葉や数学を扱ったりすることが出来ない子になりやすい。
野生児(オオカミに育てられた少年少女は実は、誤解だった)
https://www.verywellmind.com/genie-the-story-of-the-wild-child-2795241?utm_source=chatgpt.com
言葉のはく奪と発達の関係
https://riojournal.com/article/20696/?utm_source=chatgpt.com
要約
思春期前までほとんど言語に触れず育ったとされる子どもたちを調査。
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非言語的能力の限界
一部は非言語能力(視空間能力など)が比較的良好でも、構文の理解・生成に関しては大きな制約が残る傾向がありました。
言語習得の臨界期の存在
思春期(およそ12~13歳)以降に言語入力を得た場合、構文・文法能力を正常レベルまで回復するのは非常に困難であることが、対象例で一貫して観察されました 。
脳の発達への影響
言語入力の欠如は、単なる語彙不足だけでなく、構文処理を担う脳領域(特に左側前頭・側頭領域)の成熟にも悪影響を及ぼすと示唆されています。
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思春期以前の言語剥奪は、後の言語獲得の「臨界期」理論と合致しており、その枠を逃した場合、構文習得には著しい限界がある。言語刺激は、脳構造と密接に関連し、単なる社会性や語彙だけでなく、深層的な認知発展にも不可欠です。