https://ako-juku.com/intelligence/
↑こちらの記事をかいていて、ふとパナプティコンのことを思い出しました。
現代を語るうえで重要な概念です。
大学入試現代文ではフーコーや監視社会論が背景知識として出題されることがあります。
知らなくても良いのですが、知っていたほうが大学入試現代文を読み解きやすくなるかとおもいます。
だから、少し無理やり「安心安全」と「自由・人権」のトレードオフといった観点から、パナプティコンを踏まえてお話ししてまいります。
高校生の皆様。
よければどうぞ。
https://ako-juku.com/kozoshugi/
安全安心と自由・人権のトレードオフ
現代の危機は多様です。
- 自然災害
- 感染症
- テロ
- サイバー攻撃
- ローン・オフェンダー型犯罪
これらを防ぐためには、
- SNS監視
- 防犯カメラ
- 通信データ分析
などが必要になります。
当然、安全は高まります。
しかし、同時に私たちは気づきます。
あれ?
「それって監視社会では?」
という疑問です。

パナプティコンってこういう話
パナプティコンとは、
ジェレミー・ベンサム(18世紀の哲学者・功利主義者)が考えた監獄の構造です。
少し特別な監獄です。
それは、
「見られているかもしれない」という状態によって、人が自らを統制する社会装置
という意味でした。
監獄の構造は非常にシンプルです。
- 円形の建物の外周に囚人の部屋
- 真ん中に監視塔
そして
囚人は「監視されているか分からない」
のです。
なぜ恐ろしいのか?
看守は中央から全部見える。
しかし、
- 看守が本当に見ているか?
- 今見ているのか?
は囚人たちには分かりません。
つまり、そうした状況のなかでは、
「常に見られているかもしれない」
という心理が働くのです。
結果、
「誰も見ていなくても自分で自分を監視するようになる。」
これが怖いのです。
この思想を20世紀に社会理論として拡張したのが「ミシェル・フーコー」です。
彼は著書「監獄の誕生」で次のように指摘します。
現代社会は巨大なパナプティコンである
学校。
会社。
病院。
SNS。
そして国家。
直接暴力(軍隊や警察力)によって
国家に支配されているのではなく、
- 評価
- 記録
- 観察
- データ
によって人は自ら進んで支配されにいっているのだ。
と。
もちろん、フーコーがSNSについて語っていたわけではありません。
フーコー関連の書籍も弊塾に置いてあるので↓気になる方はどうぞ↓

危機管理の核心
「安全」と「自由」は同時に最大化できない
例えば、
テロ対策としてSNS監視や監視カメラを強化すると安全は高まるが自由は制限される。
これはまさにパナプティコン国家の問題と言っても良いでしょう。
① インテリジェンス(情報収集)
危機管理では、
- テロ兆候
- ローン・オフェンダー
- 感染症拡散
を防ぐために情報収集が不可欠です。
しかし。
SNS監視。
通信記録。
顔認証。
これらは。
「見られているかもしれない社会」
を作ります。
つまり,
市民全体がパナプティコンの囚人になる。
② 予防(Prevention)
犯罪が起こる前に止めたい。
当然です。
しかし。
- 行動履歴分析
- AI予測
- 思想傾向分析
まで進めば?
まだ犯罪をしていない人を監視することになる。
ここで。
無罪推定 vs 予防安全
の衝突が起きます。
③ 対応(Response)
事件発生時。
- GPS追跡
- 外出制限
- ロックダウン
感染症の対応でも見られました。
安全は守られます。
しかし。
自由移動。
営業自由。
集会自由。
は制限されます
④ 復旧(Recovery)
復旧段階でも問題があります。
一度導入された監視技術は。
ほぼ撤去されません。
非常時の制度が常態化する。
これをフーコー的には、
「例外状態の常態化」
と読むこともいうことが出来ます。
本質的問いが私たちを混乱させる
ここで最も重要なのは、
「監視は誰のためか?」
です。
国家が市民を監視するのか。
それとも、
市民が国家を監視するのか。
民主主義はここで試されます。
日本大学危機管理学部を紹介した際に、国論を2分すると申し上げたのは、こういった意味です。
考えたくもありません。
教育的視点 学校もパナプティコン
学校もまた小さなパナプティコンということが出来ます。強い言葉なので、私が問題意識として持っているというわけではなく、理解としての事例だとお考え下さい。
- 内申点
- 定期テスト順位
- SNS評価
子どもは常に評価されている。
すると。
「怒られないための勉強」
になる。
しかし本来教育は。
見られていなくても考える人を育てること。
危機管理も同じです。
監視社会では監視されていることを前提に行動の意思を決定するのです。
結論
安全を高めるための監視は必要かもしれない。
しかし。
監視が過剰になれば、
人は自由を失う前に
「自由に考えること」をやめてしまう。
パナプティコンとは監獄の話ではない。
それは。
私たちがどの社会を選ぶのかという問いそのものなのである。
中1でも分かる!パナプティコンを自然に考えてしまう映画5選
(※「監視とは何か?」を授業で直接説明しなくても、子ども達が勝手に気づいてくれます。
①『トゥルーマン・ショー』

どんな話?
主人公は普通に生活していると思っています。
しかし。
実は。
- 生まれた瞬間から
- 人生すべてがテレビ番組。
町も家族も友人も。
全部「演出」。
つまり。
世界そのものが監視装置。
パナプティコンとの関係
本人だけが知らない
でも
世界中が見ている
=完全監視
しかも恐ろしいのは、
彼は命令されていないのに社会に従っている。
フーコーそのままです。
弊塾映画の授業でも取り扱いました。
「パナプティコン」「監視社会」といった言葉は使っていません。
むしろ、何も考えずに中学生達と一緒に映画をみた私の後付けです。
当時の生徒の感想は、まさに「監視社会」の恐怖を感じてくれた内容が多かったことを覚えています。
トゥルーマンショーをみたWillbe生の感想
番組を作ったクリストフは、トゥルーマンのことをまるで我が子を見るように語っていたが、そうだとしても過保護すぎるように思いました。(トゥルーマンのことを)ヒーローと言っていたが、それは「誰に対しての」ヒーローなのだろうか。クリストフから見るヒーローであってトルゥーマンにその自覚はないし、テレビを見ている人がどう思っているのかは分からなかった。
この世界は、人々が楽しそうにテレビを見ていたから、きっとみんなの理想だったんだと思う。だから、(人権侵害とも思える)この番組自体は否定できない。
もし自分がトゥルーマンだったとしたら、精神が壊れて自〇していたと思います。この物語を作った人の心が心配になりました。
今、自分はトゥルーマンを映画の主人公としてしか見れないが、番組制作者の思惑な気がして少し悔しいです。結局いま自分が「トゥルーマン凄い」と思っているのもトゥルーマンが他人だからであり、物語の主人公だからにすぎない。主人公に本当の意味で同情するのは難しいと感じた。最後のシーンで警官が次の番組を探しているシーンで痛烈にそれを感じた。
現実社会においても嘘より真実の方が恐ろしい気がします。嘘やフィクションに囲まれている今が幸せなんだと思った。真実は自分自身が体験するしかないのだけれど、こんなテーマをフィクション映画で描いているのは皮肉な気がしました。
トゥルーマン・ショーと私たちの人生は全く同じだと思った。私たちは何も自分1人で判断をしているわけではない。この映画は、これまで築き上げられてきた(文化/常識/概念など)全てに逆らい判断して生きろっというメッセージのような気がした。
② 『マトリックス』

どんな話?
人類は自由に生きていると思っている。
しかし実は。
AIが作った仮想世界。
パナプティコン視点
監視されているだけではない。
世界そのものが管理されている。
③ 『ウォーリー』

どんな話?
人類は宇宙船で暮らしています。
便利。
安全。
全部AI管理。
しかし。
誰も歩かない。
考えない。
画面しか見ない。
ここが危機管理
安全100%。
危険ゼロ。
でも。
自由も主体性も消える。
新中1でも分かる最強教材かもしれません。
④ 『マイノリティ・リポート』

どんな話?
犯罪を未来予測。
起きる前に逮捕。
犯罪ゼロ。
最高の安全。
しかし。
主人公は。
まだ犯罪してないのに逮捕されます。
危機管理4モデルとの融合
これは完全に
- インテリジェンス
- 予防
の暴走です。
つまり、
「安全のためなら自由は奪っていい?」
という問いです。
⑤ 『ズートピア』

実は超おすすめです笑
どんな話?
肉食動物が危険視される社会。
偏見。
監視。
恐怖。
メディア操作。
全部出てきます笑
パナプティコン視点
怖いと思われた瞬間。
監視が正当化される。
これです。
最後に
興味関心の話
楽しい娯楽映画を恐ろしい話として紹介してしまって、嫌なことをしたもんだ、と反省しています。
弊塾では、他塾におんぶにだっこで映画をつかって授業をしています。
難しい用語や問題を理解させる恣意的な授業ではなく、テキトーに選んでいます。
映画や小説は、作品を作る人たちが「無意識」「意識」は別として、ちゃんと人間の葛藤みたいなものが描かれています。
現代文では、そのような葛藤を小難しい哲学/社会理論用語を使って論じられていますが、現実問題を扱っている文章なのです。
算数が「具体から抽象的な世界に広がっていく」のと同様に、文系分野も「具体から抽象的な世界に広がっていく」のだと思います。
すべてを体験することなど不可能ですが、体験できたことが多い方が良いのは間違いありません。
今回紹介した「自由の制限」といった内容で娯楽映画を紹介するのは心苦しいですが、「感じる」というのは「言葉にならない興味関心」の第一歩です。
いろんな体験を通してなんとなくなんとなく方向性が決まっていくのです。
読解力の限界と背景知識
読解力には「技術としての限界」があります。
これは我々塾予備校教師のせいかもしれません。
文法や構造を正確に追えても、背景にある歴史・思想・社会常識を知らなければ文章の核心には届きません。
たとえば監視社会や自由と人権の議論は、哲学や政治の知識があって初めて意味を持ちます。読む力とは、文字を追う力ではなく「世界をどれだけ知っているか」に支えられた理解の総体なのです。








