本日。
小学生算数。
正解してても間違っていてても「なんでなん?」と私に聞かれる小学生達。
まったくわかって無さそうな時には聞きません。
まったく分かってなさそうでも、どう考えたか知りたい時にも聴きます。
言葉が拙すぎる時は、言い直してあげます。
この雰囲気に慣れるまではしんどいとは思います。
小学生たちがある程度説明することに慣れてくると、勝手に自分の間違えに気がついてくれるので重宝しております。とはいえ、使い所を間違えると地獄笑
伝家の宝刀「なんでなん」は、切れ味がすごすぎるのです。
さてさて、とある小6。
自分で説明しながら
小6「6と12の最小公倍数が〜〜〜24で〜〜〜正方形にするためには〜〜〜〜え〜〜〜〜〜縦が4枚で〜〜〜〜〜横が2枚だから〜〜」
小6「・・・・」
小6「あ“〜〜〜っ」
小6「やり直してきます。」
このやりとりが何度か続き、
あまりにも濁った音なので、注意いたしました。(半分冗談ですよ)
私「○○くん。ここは美しい塾です。汚い声を出すのは私だけです。」
私「美しい声を出しなさい」
私「アナタの声は鷺のように汚い声ですよ」
私「鳶のように美しい声を出しなさい」
チーム小学生「鷺?」
小学生10人中6人がキョトンとした顔をしているので、
みんなで聴きました。
鷺の鳴き声。
↓これ。
「あ“〜」ってね。
上品でありたいものです。
しかし、
問題の間違えを気がついた時に発する美しい声とは、、、一体。
小学生達は、
私に答えがないのを知ってか知らずかそこには突っ込まず、
修学旅行の鹿の鳴き声の話になりましたとさ。
しかし、
実は、
問題を間違えた時。
その間違えに気がついた時。
青鷺のような声でも良いと私は思っています。
大人は嘘つきです。
心が動かない勉強なんて勉強ではありません。
生徒が感情見せてくれないとね。
やりにくいったらありゃしない笑
楽しそうに勉強してますが、楽しくはありません。
弊塾小学部は、怖いっていう子もいれば、先生がおもしろいっていう子もいれば、楽しいという子もいれば、先生だけがチョケテルという子もいれば、、、、、、静かだという子もいます。
さてさて、
どれがいったい本物のWillbeなのか笑
「楽しさ」と「苦しさ」は常に共存しているということは伝えたいなと思うのです。