現代文の評論文、とくに「現代社会」や「メディア」「消費」をテーマにした文章を読んでいると、突然こんなカタカナ語に出くわすことがあります。
「シミュラークル」
……はい、もう見るからに難しそうですね。
現代文キーワード「形而上学」を説明してるときに、安易に登場させてしまったので、責任をとって詳しく説明します。
「シュミレーション?」「シミュレーター?」と、
似た言葉とごちゃ混ぜになって、頭の中がフリーズした人もいるかもしれません。
でも、安心してください。 この言葉、意味のコアはたった一つだけ覚えればOKです。
シミュラークル
= 「本物(オリジナル)が、どこにも存在しないコピー」
「は? コピーって、本物があるからコピーなんじゃないの?」
そう思いますよね。
その違和感こそが、今日のスタートラインです。 今回は、現代文の最重要キーワードの一つ「シミュラークル」を、限界まで噛み砕いて解説していきます。
まずは「ふつうのコピー」から考える
シミュラークルを理解するには、まず「ふつうのコピー」がどういうものかをハッキリさせるのが近道です。
たとえば、あなたが美術の授業で「モナ・リザ」の絵をマネして描いたとします。 そのとき、頭のどこかにこういう感覚がありますよね。
「本物(オリジナル)のモナ・リザは、フランスのルーブル美術館にある」
「自分が今描いているのは、その本物のマネ(コピー)だ」
つまり、
ふつう私たちは「コピー」という言葉を、
本物(オリジナル)
→ それをマネしたもの(コピー)
という順番で考えています。
コピーの後ろには、必ず「本物」がいる。コピーは、その本物を指さしている。 これが、私たちが当たり前だと思っている「コピー観」です。
ところが——
現代社会には、この当たり前が通用しない、奇妙な”コピー”があふれているのです。
本物が、どこにもない
(メロンソーダの謎)
ここで、ちょっと変な質問をします。
「メロンソーダって、メロンの味がしますか?」
……たぶん、しませんよね(笑)。
あの鮮やかな緑色の飲み物。おいしいけれど、本物のメロンをかじったときの、あの上品な甘さとは、似ても似つきません。
では、もう一つ質問です。
「あの『メロンソーダの味』の”本物”って、世界のどこかにありますか?」
これも、ないんです。
畑のメロン?ちがう。
高級メロン?ちがう。
あの「メロンソーダ味」は、本物のメロンをマネしたものではなく、いつのまにか「メロンソーダ味」という独立した一つの味として、私たちの中に存在してしまっている。
いちご味のお菓子も、ぶどう味のグミも、ぜんぶそうです。
本物のいちごやぶどうを、忠実にコピーしたものではありません。 「いちご味」「ぶどう味」という、本物とは別の”何か”が、ひとり歩きしているのです。
これが、シミュラークルです。
本物(オリジナル)が、どこにもない。 なのに、コピーだけが堂々と存在している。 「○○のマネ」ではなく、「○○のマネのフリをした、それ自体が中身のないもの」。
あなたの脳内変換は、こうしておきましょう。
シミュラークル
= 「元ネタ(本物)がないのに、平気な顔をしているニセモノ」
ニセモノが、本物を追い越す
(ハイパーリアル)
ここからが、現代文の筆者が本当に言いたい、ちょっと怖い話です。
シミュラークル(本物なきニセモノ)が世の中にあふれていくと、最後にはこんな逆転現象が起きます。
ニセモノのほうが、本物よりも”リアル”に感じられてしまう。
この状態を、専門用語で「ハイパーリアル」と言います。
(脳内変換:「ニセモノが本物を追い越して、こっちが現実っぽくなっちゃった状態」)
例で見ましょう。
例①:旅行とSNS
あなたが絶景スポットに旅行に行ったとします。
目の前には、本物の美しい景色が広がっている。 でも、気づけばスマホを構えて、「映える」写真を撮るのに必死になっていませんか?
そして家に帰って、「いいね」がたくさんついた瞬間に、いちばん満足する。 本物の景色を自分の目で味わった記憶より、画面の中の”加工された景色”のほうが、自分の思い出として残っていく。
これ、おかしいと思いませんか?
本物の景色(オリジナル)よりも、写真というコピーのほうが、リアルで価値あるものになってしまっている。 これがハイパーリアルです。
例②:テーマパーク
人工的に作られた夢の国は、現実の街よりもキラキラして、清潔で、楽しい。
「現実よりも、こっちのほうが本物っぽい(理想的)」と感じてしまう。
作り物のはずなのに、現実を追い越してしまっているのです。
例③:アイドルやキャラ
画面の向こうの「いつも笑顔で完璧なあの子」。
それは事務所やファンが作り上げたイメージ(記号)であって、生身のその人そのものではないかもしれません。 でも私たちは、その”作られたイメージ”のほうを「本物のあの子」だと思って応援している。
筆者たちは、こう警告します。
「現代人は、本物の現実を生きているつもりで、実は”本物なきコピー(シミュラークル)”の世界を生きているんじゃないか?」
ちょっとだけ深掘り「像の4段階」
この考え方を言い出したのが、ジャン・ボードリヤールというフランスの思想家です。 (名前は覚えなくてOK。「あ、こういうこと言った人がいるんだ」程度で十分です)
詳しくは、第11回「現代文あるある⑪【消費社会】― あなたの「欲望」の主人は誰か?」
👉 https://ako-juku.com/gendaibunaruaru-11/
彼は、「イメージ(像)」が変化していく4つの段階を整理しました。 ざっくり、こんな流れです。
- 第1段階
本物を、ちゃんと映している(ただの写真みたいなもの) - 第2段階
本物を、ちょっとごまかして盛っている(盛れてる自撮り) - 第3段階
本物がないのを、隠している(あるフリをしている) - 第4段階
もう本物とは一切関係ない、それ自体が完結したニセモノ(=シミュラークル)
最初は「本物のコピー」だったものが、段階を追うごとに本物から離れていき、最後には本物と無関係な”純粋なニセモノ”になってしまう。
この最終形が、シミュラークルなのです。
ちなみに余談ですが、映画『マトリックス』は、このボードリヤールの考え方に強い影響を受けて作られています。 「自分が生きているこの現実、本当に本物?」という、あのゾクっとする問いですね。
コラ画像?
インスタで盛って見ました?
現代文あるあるとリンク!
シミュラークルは「現代」ステージの武器
当ブログのシリーズ「現代文あるある」を読んでくれた人なら、この言葉がどこに位置するか、もうピンときているはずです。
そう、いちばん新しい「ポスト構造主義(現代)」のステージの言葉です。
思い出してください。 構造主義の回で、世界は「記号」でできているという話をしました。
- 「いいね」も記号
- ブランドのロゴも記号
- メロンソーダの緑色も記号。
シミュラークルは、その記号の話の”進化版”です。
かつて:
記号は、何か本物(中身)を指さしていた
現代:
記号だけがどんどん増えて、指さす先の本物が消えてしまった
本物がないまま、記号(コピー)だけがぐるぐると自己増殖していく。
これがシミュラークルの世界であり、現代社会の正体だ——
と筆者たちは言いたいのです。
シミュラークルを使った予測リーディング
超実践編
ここまで分かると、入試本番で強烈な「予測リーディング」ができます。
本文中に、次のような言葉が出てきたら、頭の中で「シミュラークル警報」を鳴らしてください。
- 筆者が問題視しているもの(敵)のサイン
- オリジナルのないコピー
- 本物の喪失記号だけが増殖する
- 現実よりリアルな虚構
- イメージ
- 表層・うわべ
これらが出てきたら、筆者の言いたいことはほぼ確定します。
「現代人は、中身(本物)を見失って、うわべのイメージ(記号・コピー)ばかりの世界を生きてしまっている。それでいいのか?」
選択肢を選ぶときも同じです。
「本物とコピーをきちんと区別できる」という前向きな内容の選択肢は、シミュラークルの文章では”罠”であることが多い。
筆者は逆に、「もう本物とコピーの区別なんてつかなくなっている」という、モヤッとした方向を主張しているからです。
まとめ
難しい言葉は、世界を見る「新しいメガネ」
シミュラークル
= 本物(オリジナル)が存在しないコピー
ハイパーリアル
= そのニセモノが、本物よりリアルに感じられる状態
最初は「は? コピーに本物がないってどういうこと?」とイラッとしたかもしれません。
でも、ここまで読んだあなたは、もう世界の見え方が少し変わっているはずです。
- メロンソーダを飲むとき。
- 映え写真を撮るとき。
- 推しのアイドルに夢中になるとき。
「あ、これってシミュラークルかも」と、ふと立ち止まれる。
難しい言葉は、あなたをいじめる呪文ではなく、いつもの景色を新しく見せてくれる「メガネ」なのです。
次に評論文で「シミュラークル」を見かけたら、ビビらずにこう思ってください。 「お、筆者が”本物なきコピーの時代”について語りだしたな」と。
それだけで、あなたの読解は、もう一歩、本物に近づいています。







