↓映画の授業の詳細についてはこちら↓
2024年1月3日
映画で学ぶ知の技法
天使にラブソングを
新年早々
私が塾にトイレの芳香剤をぶちまけて、
やや芳香剤の香りが残るなか開催された授業の題材は「天使にラブソングを」でした。
授業後の感想に、
「ダメダメな主人公と凄いけど何かが足りないキャラが出会って互いに成長する」という形(→型??)の映画が多いなと改めて思いました。
生徒感想
と書いてくれた中学生がおりました。
そうなんですよ。
その通りなんですよ。
使い古された形式と思うならそれはそれで良いのではありますが、
「それが人間」
なのだから仕方ないのですよ。
「天使にラブソングを」では
デロリスが「他人に対してthank youの一言も言えない欠陥」を持っていたが「院長と関わる中で最後に”thank you”と言える」ぐらいまで成長できたように、
個性なんてものは、1人で作れるものではないのです。
社会や身近な人々との関わりの中で形成されるものなんです。
だから、
どうしても「ダメダメな主人公と凄いけど何かが足りないキャラが出会って互いに成長する」話にはなるのです。
本をたくさん読む子は国語の成績が良いと言われる理由は、こういった「アルアル」で文章を読めるからかもしれません。とはいえ、アルアルで読みすぎると外すわけです笑
感で解いてる段階では、この「アルアル」がいかんなく発揮されるかもしれません。
下世話すぎてあまり言いたくありませんが、映画の授業の価値と言っていいかもしれません。
(いや、もっと価値はあるんですよ??)
ただ姿勢としては「予想通りでツマラナイ」と片付けるのではなく「もっと深く読んでみて欲しい」とは思うのです。
例えば、、、
中学生達の感想に多くあった、デロリスがマフィアに追いかけられ匿われた先が「修道院」であった必然性?を読み解いてみても良いわけです。
確かに
日本人的感覚からすれば「アメリカの宗教性」「日本だと修道院ではない別の組織が担っていた地域コミュニティやそのほか役割」みたいなものは分かりにくいわけですから、
マフィアが「修道女は殺せない」といった一言もなかなか奥深いものがあります。
そこだけを考えても
①「宗教の神秘性や威厳」
②「特に映画に登場した修道院のおかれた状況」
の2点から考えていけば新しいことに気が付けたりするわけです。
または、
結局、タイトル「天使にラブソングを」の「天使」は誰なんだ?と考えても良いわけです。神様は唯一人を差別しない万人を許す存在だとするならば、映画の登場人物全てであったりするわけです。
・デロリス達が催すミサに惹かれて教会にふと入ってきた黒人たちも含むし
(しかし、「俗と聖」を深く読み取っていくとそうではない現実が1960年アメリカにはあったと映画から読み取れる訳です)
・法王ですら?
・院長牧師などなど
あるいはですね。
デロリスとマフィアの関係。
ボスとデロリスが恋人関係だと思っていた中学生もいるわけですから、、、状況を整理してみると「いやいやそんな訳がない」といった話にもなったりですね。
映画の授業は、
中学生/高校生の感想を書いてもらってから、
授業の内容が決まります。
今日の授業でも触れられていない話はたくさんあります。
キミたちの感想レベルが上がれが上がるほどに、
もう一歩踏み込んで「こういう風にも読み取れるんじゃなかろうか」といった話が広がります。
是非是非、
「作業」「大人が求める模範解答」「礼儀としての感想」を脱却して、
もう一歩
もう一歩
踏み込んで参りましょう。
私個人的な感想としては、
「この地域がどれほど危険なのか分かってるの?」という一言からずっと院長の言動を追いかけてしまいました。「許す」ことでデロリスに変化を与え修道女たちの安全を真っ先に考えるほど、真にマザーの名に相応しい院長ではありましたが、成人君主過ぎてもう少し変化が欲しかったというのが感想です。守るものがあるから守れない人がいるといった感覚でしょうか?分かり合えたとしてもデロリスとは違った方向で別々に進んで欲しかったな~と思っちゃいましたとさ。
ちゃんちゃん。