今回は「交換と贈与」を扱います。
現代文で何をやってるか分からなくなったらこれを読めシリーズ
① 個人と共同体
② 自然と人間
③ 構造主義とその他の社会
④ 近代芸術
⑤ 贈与と交換
⑥ ポスト構造主義
⑦ 資本主義と消費社会
その前に、これまでの流れをもう一度振り返ってみます。
高校の現代文では、次のような言葉がよく出てきます。
近代
個人主義
人間中心主義
合理主義
資本主義
近代国家
しかし、これらはバラバラのテーマではありません。
すべて
「人間が世界をどう見るか」
という問題から生まれています。
つまり、
世界を見る「ものの見方」や「枠組み」
の違いです。
現代文で語られている多くのテーマは、
この枠組みの違いから派生したものです。
このシリーズでは、その流れを順番に見てきました。
これまでの流れ(①〜④)
① 個人と共同体
まず扱ったのが、
個人と共同体
というテーマでした。
近代以前の社会では、
人間は共同体の中の存在でした。
家族
村
宗教
身分
こうした関係の中で自分の役割が決まっていました。
しかし近代になると、
「個人」
という考え方が強くなります。
人は共同体の一部ではなく、
自分で考え、判断する主体
と考えられるようになります。
② 自然と人間
次に見たのが
自然と人間
という対立です。
中世では、
自然は神が作った世界の一部でした。
しかし近代では、
人間は自然を
観察し
分析し
利用する
存在になります。
つまり、
人間(主体)
自然(対象)
という関係が生まれます。
ここに近代科学の発想があります。
③ 構造主義
しかし20世紀になると、
この近代的な考え方が揺らぎ始めます。
それが
構造主義
です。
構造主義はこう考えます。
言葉の意味
神話
文化
これらは
人間が自由に作っているのではなく、
社会の中の関係(構造)
の中で成立しているのではないか。
つまり、
意味は個人の内側ではなく
関係の中で生まれる
という考え方です。
④ 近代芸術
この「ものの見方」の変化は、
芸術にも現れました。
中世の芸術は
神のための芸術でした。
しかしルネサンス以降、
世界は
「私が見る世界」
として描かれるようになります。
遠近法は、
見る人の視点を中心に
世界を構成する技術でした。
ここには
主体(見る人)
客体(見られる世界)
という近代の発想が現れています。
しかし近代後半になると、
芸術はさらに大きく変わります。
マルセル・デュシャンの《泉》のように、
作品そのものではなく
それが置かれる文脈
が意味を決めるのではないか、
という問いが生まれました。
つまり
意味は
物の中にあるのではなく
関係の中で生まれる
のではないか、
という問題です。
交換と贈与
では、この「関係」という考え方を、
芸術ではなく、もっと身近な例で考えてみます。
たとえば、
誰かにお土産をもらったとき。
「ありがとう」で終わるでしょうか。
多くの場合、
どこかでお返しを考えるはずです。
それは契約でも法律でもありません。
値段が決まっているわけでもありません。
それでも私たちは、
自然とそう行動します。
そこには、
人と人の関係を成り立たせる
見えないルール
が働いているからです。
このことを考えたのが、
フランスの社会学者
マルセル・モース
でした。
交換
モースは、人間社会には
二つのやり取りがあると考えました。
ひとつは交換です。
これは、
お金や契約によって成り立つやり取りです。
商品を買う。
給料をもらう。
こうした関係では、
価値はその場で清算されます。
たとえばコンビニで
おにぎりを買うとします。
レジでお金を払えば、
その場で商品を受け取ります。
そこで関係は終わります。
あとで店員さんに
「この前のおにぎりのお返しです」
と何かを持って行く人はいません。
支払った価値と
受け取った価値が
その場でつり合う関係を等価交換と呼びます。
贈与
交換に対してモースが注目したのが
もう一つのやり取り、贈与でした。
贈与とは、
一見すると
見返りを求めない贈り物です。
しかしモースは、
そこには必ず
三つの義務があると指摘しました。
贈る義務
受け取る義務
返す義務
です。
贈与は、単なる親切ではありません。
贈り物は、人と人のあいだに関係を生み出すのです。
モースが疑問に思ったこと
モースは世界各地の社会を研究していました。
そこでは
・贈り物
・宴会
・財の分配
・贈り合い
といった習慣が見られました。
一見すると、
自由な贈り物のように見えます。
しかしよく観察すると、
人々は
・贈らなければならない
・受け取らなければならない
・返さなければならない
という行動をとっていました。
つまり
贈与は完全に自由ではない
のです。
ここでモースは疑問を持ちました。
贈り物は本来、自由なはずです。
契約でもありません。
法律でもありません。
それなのに、
なぜ人は
返さなければならない
と感じるのでしょうか。
この疑問から生まれたのが
モースの著書
『贈与論』
です。
贈与の意味
モースはこう考えました。
多くの社会では、
贈り物には
贈った人の力や気持ちが宿る
と考えられていました。
だから、
贈り物を受け取ることは
その人との
関係を受け取ること
でもあります。
だから人は、
返さなければならないのです。
交換だけの社会は成立するのか
また疑問が生まれます。
もし社会が
等価交換
だけで成り立つとしたら、
どうなるでしょうか。
お祝いをもらったら、
その場で同じ金額を返す。
お土産をもらったら、
すぐに同じ値段のものを返す。
友人に助けてもらったら、
その場で同じ価値のことを返す。
もしそうなれば、
人間関係は
その場で終わる取引
になってしまいます。
お年玉をもらって、
同じ価値をすぐに返したら、
関係が終わるのです。
しかし実際には、
そうではありません。
贈与では、
価値はすぐには清算されません。
時間をおいて、
別の形で返されます。
たとえば、
友達が旅行に行って
お土産をくれたとします。
その場で同じ値段のお菓子を
返す人はいません。
しかし、
自分が旅行に行ったときには
その友達にお土産を買うかもしれません。
また、
テスト前にノートを見せてもらったら、
今度は自分が
プリントを貸すかもしれません。
ここでは
完全な等価交換は行われていません。
しかし、
関係は続いています。
つまり贈与とは、
モノのやり取りというより、
人と人の関係を続ける仕組み
なのです。
現代文として重要なポイント
ここで重要なのは、
モースが
「贈り物の道徳」
を説明したのではない
ということです。
彼が説明したのは、
社会の仕組み
です。
つまり、
社会とは
法律や契約だけで動いているのではなく、
贈与の循環
によっても成り立っている
ということです。
当然のことながら、
身近なすべての贈与を
「人と人の関係を続ける仕組み」
と説明してしまうと、
少し息苦しく感じるかもしれません。
贈り物は返さなければ人と人の関係が切れてしまう。。。。
等価でなくても良いと言いながら、
同じような価値でなければならない??のでしょうか?
1万円の高級チョコをもらっておきながら、
10円のチョコを返すのはどうなんでしょう?
しかし、
そうした感覚そのものも、
実は現代社会の大きなテーマになります。
ただ、この段階では
そこまでは触れないでおこうと思います。
ここでお伝えしたかったのは、
私たちの社会では、
人と人の関係の中で
もののやり取りが行われている
という、
とても当たり前の事実です。
私たちの社会には、
市場の交換と、
人間関係の贈与が
混ざって存在しています。
むしろ、
贈与の循環によって
人と人の関係が結びつき、
社会が維持されているとも言えるのです。
そしてこの考え方は、
後に文化人類学者の
クロード・レヴィ=ストロース
によって、
さらに発展させられます。
神話の話で一度登場したレヴィ=ストロースです。
レヴィ=ストロースはかなりの重要人物で、
様々な社会構造を明らかにしてきたことで有名です。
神話以外にも軽く触れておきます。
レヴィストロースが考えたこと
結婚の話
レヴィ=ストロースは、
モースの研究を手がかりに、
人間社会には
人と人の関係を作る
一定のパターンがあるのではないか
と考えました。
その代表的な例が結婚です。
現代人として
私たちは結婚を、
個人同士の恋愛や
個人的な選択として考えがちです。
しかし多くの社会では、
自分の家族や親族の中では
結婚できないという
ルールがあります。
自分の家族や親族の中では
結婚できないという
ルールがあります。
そのため、
結婚は
家と家の関係を結ぶ制度
として存在してきました。
結婚は必ず
別の家との関係を作ることになります。
たとえば昔の村社会では、
娘が別の家に嫁ぐことで
二つの家がつながります。
そして今度は
別の家から嫁がやってくる。
結婚を通して
家と家の関係が広がっていきます。
レヴィ=ストロースは、
このような仕組みを
女性の交換
という少し刺激的な言葉で説明しました。
もちろん、
女性を物のように扱うという意味ではありません。
そうではなく、
結婚という制度が
人と人、家と家を結びつける
社会の仕組み
として働いていることに
注目した言葉なのです。
つまり、
社会は
個人の意思だけで作られているのではなく、
その背後には
人と人を結びつける
見えない関係のパターン
が存在しています。
レヴィ=ストロースは、
こうした関係の仕組みを
構造
と呼びました。
そして社会を理解するためには、
個人の心理や意志だけを見るのではなく、
この
関係の構造
を読み解くことが重要だと考えたということです。
結婚という制度の中では、
女性がモノのように扱われた
といった文脈があります。
不平不満がなければ
権利は発展しなかったでしょう。
権利を主張すること自体が
悪いわけではありません。
しかし、
社会の「構造」を理解せずに
権利をただ声高に叫ぶだけでは、
それは単なる
不平不満になってしまうこともあるのかもしれません。
不平不満の背後にある
社会の「構造」を理解してはじめて、
その主張の意味も見えてくるのです。
そういった側面を含めて
「構造」といった言葉の重要性をご理解いただければ助かります。
次回、ポスト構造主義へ
構造主義が、20世紀の人文科学に大きな影響を与えたのは、
社会を説明するための
非常に強力な考え方だったからです。
人間の行動や文化が
個人の意思ではなく、
社会の中の構造
によって生まれているのだとしたら、
神話
言語
親族関係
文化
といったものを、
一つの共通した方法で
説明することができます。
数学みたいですね笑
実際に構造主義は、
人類学
言語学
文学
思想
など、
さまざまな分野に大きな影響を与えました。
社会や芸術の具体例で
構造主義の考え方を見てきましたが、
ここで
新たな疑問も生まれます。
構造という考え方は、
確かに社会を説明する力を持っています。
しかし、
それだけで
社会を完全に説明できるのでしょうか。
「交換」「贈与」の話をしたときに、
高校生や大学生が混乱するのは
当たり前です。
「近代」
「構造主義」
こうした考え方だけでは、
現代社会を完全に理解することは
出来ません。
「私と他者」
「社会の構造」
こうした説明だけでは、
現代社会で起こっている出来事を
すべて理解することは
難しいのです。
しかし、
現代社会で起こっていることを説明するには、
やはり
順番に
一つ一つ
丁寧に紐解いていく必要があります。
もし社会が
構造
によって成り立っているのだとしたら、
その構造は
本当に
固定されたもの
なのでしょうか。
あるいは、
その構造そのものも、
歴史の中で
変化していくものなのでしょうか。
ここで
もう一つ難しい問題が現れます。
それは、
構造そのものが揺らぐ
という考え方です。
個人が揺らぐ、
というのは分かりやすい話です。
また、
社会の中に
「構造」がある
という説明も理解しやすいでしょう。
しかし、
その構造そのものが
揺らぐと言われると、
少し困ってしまいます。
たとえば、
数学の授業で
「点Pよ、止まれ!」
と叫んだことがある人も
多いでしょう。
点は、
座標の上で
じっとしていてくれるからこそ
分かりやすいのです。
同じように、
私たちは
社会には
ある程度
安定した構造がある
と考えてしまいます。
「構造よ、どうか止まってくれ」
と思うわけです。
しかし実際には、
その構造そのものも
歴史の中で
変化していきます。
非情にも
構造が揺らいでくれないと、
社会も
個人も
上手に説明することが
出来ないのです。
この問題に向き合う中で、
構造主義は
次第に見直されるようになります。
そしてそこから生まれたのが、
ポスト構造主義
という考え方でした。
次回は、
構造主義はなぜ崩れたのか
という問題を
考えてみたいと思います。
ここまで見てきた
芸術や社会の話とも
深く関係してくるテーマです。





