前回の記事では、
エゴイズム論を扱いました。
人間は結局、
自分の利益のために行動しているのではないか。
人を助ける行為も、
募金も、
ボランティアも、
本当は
・気分が良くなる
・罪悪感を避ける
・評価される
といった
自分の利益
なのではないか。
という疑問でした。
しかしここで、
もう一つ別の問いが出てきます。
(問いと疑問の応酬です)
それは
そもそも人間は一人で成立する存在なのか
という問題です。
ヘーゲルの弁証法
この問題を深く考えたのが
ドイツの哲学者
ヘーゲル
です。
テーゼとアンチテーゼで有名なヘーゲルです。
弁証法の補足
よくある誤解は、
弁証法
= 言いくるめる技術
みたいなイメージです。
でも哲学でいう弁証法はそうではありません。
哲学での弁証法は、
物事は最初から完成しているのではなく、
矛盾や対立を通して動いていく
という考え方です。
つまり、
- Aがある
- それに反対するBが出る
- その対立を通して、AでもBでもない新しい段階Cが生まれる
という動きです。
弁証法具体例 子どもの成長
小さい子どもは最初、
自分が世界の中心
のように感じています。
でも成長すると、
- 他人には他人の考えがある
- 自分の思い通りにはならない
と知ります。
すると最初の
自分中心の世界
は壊れます。
しかしそのあと、
他人の視点も含めて自分を考える
ようになります。
これが弁証法っぽい動きです。
つまり
- 最初の単純な自分
- それを否定する他人の存在
- その否定を通して成熟した自分
です。
弁証法とエゴイズム
ヘーゲルは、人間を
承認を求める存在
だと考えました。
人間は
ただ生きているだけでは満足しません。
他人から
「あなたは価値のある存在だ」
と認められることを求めます。
これを
承認
と言います。
主人と奴隷の弁証法
ヘーゲルは
有名な例を出します。
二人の人間が出会うと、
互いに
自分を認めさせよう
とします。
つまり
自分が上だと証明しようとする。
その結果、
主人
と
奴隷
という関係が生まれます。
主人は支配する側、
奴隷は従う側です。
一見すると
主人が勝ったように見えます。
しかし問題が起きる
ところが、
奇妙な問題が起きます。
主人は
奴隷に認められています。
しかし
奴隷は
自由な存在ではありません。
恐怖や支配の中で
従っているだけです。
つまり
奴隷の承認は
本当の承認ではない
のです。
エゴイズムの限界
ここが重要です。
主人は
自分だけが上に立とうとしました。
つまり
エゴイズム
です。
しかしその結果、
本当に欲しかった
他者からの承認
を得ることができませんでした。
つまり
自分中心では
自分自身も成立しない
のです。
人間は関係の中で成立する
ヘーゲルの結論はこうです。
人間は
- 完全な利己でもなく
- 完全な利他でもない
存在です。
人間は
他人との関係
の中で
はじめて
自分になる。
つまり
相互承認
によって成立する存在なのです。
モースの贈与論とのつながり
この考え方は
文化人類学にもつながっています。
例えば
モースの
贈与論
です。
贈り物は
単なる物の交換ではありません。
そこには
・贈る
・受け取る
・返す
という
関係のルールがあります。
贈り物は
利己でも
利他でもなく
関係を作る行為
なのです。
その他 エゴイズムの派生
社会(デュルケム)
(自殺論で有名なデュルケムさんです)
エミール・デュルケム(1858–1917)
フランスの社会学者で、
社会学を
独立した学問として確立した人物
です。
(社会科学系では何度も何度も登場するので是非)
(名前だけでも😢)
デュルケムは、
人間の行動は
社会的事実
に従うと言いました。
例えば
- 葬儀のマナー
- 挨拶
- 贈り物
- 礼儀
これは
個人の自由ではありません。
社会が作った
規範
です。
つまり
エゴイズムは
そもそも
社会の中で制御されている
という考え方です。
現代文あるある
現代文の評論では、
次のような流れがよく出てきます。
近代
理性中心の人間観
↓
身体論
身体経験の重視
↓
構造主義
社会や文化の構造
↓
エゴイズム論
利己と利他の問題
↓
弁証法
人間は関係の中で成立する
こうして
人間とは何か
という問いが
さまざまな角度から考えられていきます。
まとめ
エゴイズム論は
人間は結局、自分の利益のために行動しているのではないか
という問いから始まりました。
しかしヘーゲルは
人間は
自分だけでは成立しない
存在だと考えました。
人間は
他人との関係の中で
互いに認め合うことで
はじめて自分になる。
つまり
人間は
孤立した個人ではなく、
関係の中で生きる存在
なのです。
現代文の評論は、
こうした
人間とは何か
という問いを、
哲学や社会学の議論を通して考えている文章だと言えるでしょう。
次回 フロイト
ここまで、人間とは何かという問いをさまざまな角度から見てきました。
近代では、
人間とは
理性的に考える存在
だと考えられていました。
しかしその後、
身体論
実存主義
現象学
などによって、
人間は
身体を通して世界の中に存在する存在
だと考えられるようになります。
さらに構造主義は、
人間の思考や行動は
言語
文化
社会
といった
構造
の影響を受けているのではないか、
という問題を提起しました。
そこから
エゴイズム論
贈与論
弁証法
などの議論を通して、
人間は
利己でも
利他でもなく
関係の中で生きる存在
だという見方も現れてきました。
しかしここで、
さらに根本的な問いが出てきます。
それは、
そもそも人間は自分の行動を本当に理解しているのか
という問題です。
自分の意思だと思っているものは、
本当に自分の意思なのでしょうか。
ここで登場するのが、
精神分析の創始者
フロイト
です。
フロイトは、人間の行動の多くは
本人が意識していない
無意識
によって動かされているのではないか
と考えました。
つまり、
人間は
理性だけで行動しているわけでもなく、
社会の構造だけで決まるわけでもなく、
自分でも気づいていない心の働き
にも動かされている存在なのではないか
というのです。
ここから
人間とは何か
という問いは、
さらに深いところへ進んでいきます。
次は、
フロイトの無意識
について見ていきたいと思います。
現代文で何をやってるか分からなくなったらこれを読めシリーズ
① 個人と共同体
② 自然と人間
③ 構造主義とその他の社会
④ 近代芸術
⑤ 贈与と交換
⑥ 構造主義と現代文あるある
⑦ 身体論について
⑧エゴイズム論(身体論の派生)
⑨エゴイズムの先:弁証法
⑩ポスト構造主義
⑪資本主義と消費社会





