國學院大學は、明治創立以来「日本文化を究めること」に使命を置く隠れた名門大学です。渋谷の中心にありながら、学びの中核には“日本という文化の深層”がある。
その象徴が、学内に併設された國學院大學博物館。神道・考古・校史の三領域を軸に、縄文土器から神社祭祀具まで、日本の基層文化が“実物のまま”学べる環境を整えています。
文学部・史学科・神道文化学部の教育と連動し、教科書では触れられない日本文化の立体的理解が可能。文化行政・学芸員・公務員志望にも強い。日本文化を深く学びたい高校生にとって、國學院は間違いなく「知の本丸」です。
「大学の強み」は歴史を辿るべし
岡山大学が国家公務員試験に強い理由
岡山大学は医科大学・師範学校・薬学専門部など国家資格系学校を母体に統合され、「地域の基幹専門職を育成する」使命を受け継いだ総合大学。その歴史的基盤が医・薬・看・教員など国家試験に強い伝統を形成しています。
実際、岡山大学は、中四国では国家公務員を多く輩出している大学だと言えます。
国学院大学の歴史

国学院大学の存在意義そのものが「国文学・日本文化・神道学」にあります。
1882年創設以来、日本の古典研究、日本語学、歴史学、神道学の中心的大学としての地位を持ち、研究者・教員・文化行政職を多く輩出しています。
直接大学に関係する人物ではないが、
・本居宣長
・金田一晴彦
といった教科書に出てくる著名人の名前がホームページに記載されている事でも伺い知ることができます。
確かに、日本史に興味がない方からすれば、ある種の気持ち悪さを感じるホームページであることは認めます。
しかし、本稿の趣旨は「偏差値では語りえないマニアック学部」の紹介です。
日本全国日本史マニアの高校生諸君。
国学院大学のホームページを見て、触手が動かないならば、それは、キミはマニアではないのかもしれません。
國學院大學博物館
文系学部をランキング形式でお伝えするのは、非常に難しい。数字指標が文化系・人文学系の価値を評価しにくいためである。
故に、「就職できない」「何の役に立つの?」と言った問いがたつのも不思議ではない。
ここでは、歴史を学ぶ上で最も大切な要素の1つである博物館について熱く語っていきたい笑。
日本有数としか言いようのない規模

① 神道・考古・古典学の三領域を同時に常設展示している唯一性
日本の大学博物館は多くが
- 考古系(明治大学・同志社大学など)
- 自然史系
- 美術系
- 民族学系
に分かれています。
しかし、國學院大學博物館は
● 神道(宗教史)
● 考古(先史・古代史)
● 校史(日本学の系譜)
という、日本文化の根幹となる3領域を“常設で”総合展示している点で、国内にほぼ類例がありません。
これは「大学の学問構造=博物館展示」という非常に高度なレベルの学術設計で、学術的独自性という点で日本有数と言えます。
② 自校の研究成果(発掘資料・調査成果)を体系的に公開できる研究力
博物館の質は 「自前の一次資料をどれだけ持っているか」 で決まります。
地方博物館のイベントが「○○博物館から展示物を借りてきた」イベントであることが象徴的です。
國學院大學は
- 考古学:関東・東北を中心とした発掘調査の長年の蓄積
- 神道学:全国の神社・祭祀具に関する調査研究
- 日本文化学:古典籍の収集と研究史
を持ち、展示資料の相当部分が大学自身の研究資産です。
多くの大学博物館が外部借用資料に依存するのに対し、「一次資料を自前で提示できる」という点は
大学博物館として極めて高い評価軸になります。
→ 研究大学としての“資料公開力”は国内トップクラス
◆③ 特に「神道展示」は国内の大学博物館で唯一無二
日本国内に、神道を専門的に展示する常設博物館は、国立機関を含めても少ない状況です。
国学院は日本で数少ない
- 神道文化学部
- 神道資料館(旧称)
を擁する大学であり、神像・祭祀具・祭祀復元模型などの体系的展示は 國學院以外に実質的な代替がない と言えます。
➡ 神道展示は「日本で唯一の大学博物館スケールの専門展示」と評価可能。
④ 文化庁・自治体・社寺との連携実績の多さ
特別展の内容を見ると、國學院大學博物館は
- 文化庁
- 地方自治体(埋蔵文化財センター)
- 各地の神社・寺院
- 資料館・地方博物館
と継続的な連携を行っています。
これは、
「日本文化研究のハブ大学としての信頼度」
を意味します。
展示の質は“借用元からの信頼”に比例します。國學院は日本文化系ネットワークの中心に位置しており、他大学が真似できない協働体制を持っています。
⑤ 大学規模の割に「専任学芸員数」「展示更新頻度」が高い
大学博物館の評価ポイントとして
- 専任学芸員の配置数
- 展示替えの頻度
- 教育プログラムとの連動
- 公開講座・展示解説の開催数
が重要ですが、國學院は“中規模大学でありながら大学博物館としての整備度が非常に高い”ことが特徴です。
たとえば
- 専任スタッフによる定期的な展示更新
- 土器・石器などの実測・実習企画
- 神社関係者や研究者を招聘した講演会
は大規模国立大学の博物館に匹敵するレベルです。
➡ 規模当たりの活動量は“日本有数の効率性・密度の高さ”を誇る。
史学科と博物館
とくに史学科と博物館の連動は、國學院ならではの大きな魅力である。
史学科の講義は、長い歴史をもつ國學院の研究蓄積をベースにしており、古代から中世、近現代史まで幅広く網羅する。
しかし、國學院の学びの本質は「幅広さ」ではなく「深さ」にある。日本史の各時代・各領域を、実物資料・文献史料・考古資料の三方向から同時に理解することで、“断片ではなく体系としての日本史”を学ぶことができるのだ。
たとえば、縄文・弥生・古墳の研究では、博物館に展示される実際の土器・石器・副葬品を見学し、授業の知識とリンクさせながら理解を深める。
考古学実習では大学が携わった発掘調査の現場レポートがそのまま教材となり、「研究が教室と直結する」経験が得られる。紙の上の歴史ではなく、身体性を伴った学びがある点が、國學院の史学教育の大きな強みである。
また、神道文化との接続も國學院らしい特徴だ。日本史の学習において、神道は政治・社会・祭祀・共同体形成などあらゆる文脈で重要な位置を占めるが、多くの大学では専門的に学ぶ機会が少ない。
國學院には神道文化学部が存在し、博物館の神道展示は史学科の学生にとって格好の学習資源となっている。日本古代史や中世社会の宗教史を学ぶ際、神道の基礎知識が自然と身につく環境は、他大学にはほとんど存在しない。
数字でみる国学院大学文学部
河合塾偏差値:52.5~57.5
私立大学実質倍率ランキング(文学部系統編)
| 順位 | 大学(学部) | 偏差値 | 倍率 |
|---|---|---|---|
| 1 | 追手門大学(心理) | 42.5~50.0 | 7.9 |
| 2 | 早稲田大学(文化構想) | 67~70 | 7.5 |
| 3 | 立教大学(異文化コミュニケーション) | 65 | 6.9 |
| 4 | 早稲田大学(文学) | 67~70 | 6.8 |
| 5 | 京都橘大学(総合心理) | 47.5~50 | 6.5 |
| 6 | 法政大学(国際文化) | 60~62.5 | 5.0 |
| 7 | 中京大学(心理) | 52.5~57.5 | 4.9 |
| 8 | 近畿大学(文芸) | 40~55 | 4.5 |
| 9 | 立教大学(現代心理) | 60~62.5 | 4.4 |
| 立正大学(心理) | 47.5~50 | 4.1 | |
| 11 | 明治大学(文学) | 60~62.5 | 4.1 |
| 法政大学(文学) | 55~62.5 | 4.1 | |
| 13 | 龍谷大学(心理) | 47~52.5 | 3.9 |
| 明治学院大学(心理) | 52.5~62.5 | 3.9 | |
| 青山学院大学(総合文化政策) | 60 | 3.9 | |
| 関西大学(文学) | 52.5~57.5 | 3.9 | |
| 17 | 学習院大学(文学) | 55~57.5 | 3.8 |
| 國學院大學(文) | 52.5~57.5 | 3.8 | |
| 20 | 追手門大学(文) | 42.5~47.5 | 3.7 |
| 21 | 立命館大学(総合心理) | 57.5~60 | 3.6 |
| 22 | 中央大学(文学) | 52.5~60 | 3.5 |
※下線部は「日本史」を学べる大学学部
実質倍率とは
受験者数 ÷(合格者数)で求める倍率のこと。
「出願者数」を使うのではなく、実際に試験を受けた人数を用いる点がポイント。
出願者の中には、「併願したけど別の大学に進んで受験しない」「出願したが欠席した
」という人が一定数います。
そのため、出願倍率(出願者 ÷ 募集人数)は実際よりかなり高く見えがちです。
一般合格者のうち入学者の比率
(500人以上2000人未満の大学)
10位
國學院大學25.7%
私立大学は、国公立大学の滑り止め、故に大学受験では1人10個程度出願される方も珍しくはありません。合格者の25.7%が入学する大学というのは、思っているより優秀で第1志望にしている人の割合が多いとも言えます。
一般合格者のうち入学者の比率のランキング上位は「医学部/医療」「美術/芸術/音楽」「女子大」など第1志望である理由が明確な大学学部が多くなります。
そのため、國學院大學の25.7%はかなり優秀な数字だと言えます。
つまり、第1志望にしている人が多いのです。
歴史オタク高校生へ
歴史をたどると神道をはじめとした
宗教の壁にはかならずぶち当たる。
教養として大人になってから学びにくいのが宗教関連です。
宗教や神道を語ると「政治思想」が偏っているような雰囲気を醸し出したり、大人が都合よく自分の政治思想の正当性を強調するために、「歴史」を切り取ってきた「歴史」も多くあります。そういう側面でも歴史が好きなら、國學院で学んでおくとリテラシーレベルがあがるように思います。
赤穂浪士と國學院大學
たまたま見つけたので赤穂市民として笑、添付文章に、赤穂大石神社学芸員の協力、史料の提供があったと明記されいたので、少し要約解説。
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荷田春満(かだの はるみつ、1669–1736)は、伏見稲荷社の社家・羽倉家に生まれた前期国学の中心的学者で、のちの賀茂真淵・本居宣長へと続く国学の基盤を築いた人物である。
神道・歌学・故実に通じ、江戸でも広く講義を行い、多くの武士・神職・町人の門人を持った。元禄期には江戸で積極的に活動し、大名家や吉良家家臣とも交流。
その過程で赤穂浪士の動向にも関与し、討入り直前には吉良上野介の在宅情報を伝えるなど、歴史的事件の裏面にも関わったことが史料から確認される。
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大石三平良穀(おおいし さんぺい よしよし)は、47士ではありません。
赤穂浪士を支援した“周辺人物”で、大石内蔵助の親族(従兄弟筋)にあたる人物です。
討入りには参加していませんが、荷田春満や中島五郎作と浪士側をつなぐ重要な役割を果たしました。
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国学者・荷田春満(羽倉斎)が元禄赤穂事件において、赤穂浪士へ情報提供という形で支援をした事実 を、新出史料・既存史料を基に史料学的に再検討したものである。
まず、近世以来の伝承として「荷田春満が赤穂浪士を手助けした」という逸話は存在していたが、
史料的裏付けは弱く、曖昧な形で語られてきた。
しかし20世紀以降に大石家文書が発見され、春満の書状(元禄15年12月13日付)が明確に確認されることで、実際に春満が大石三平へ吉良邸の動静を知らせていた事実 が判明した。
論文では、堀部弥兵衛の「堀部金丸覚書」など複数の一次史料を引用し、浪士側が11月〜12月にかけて吉良上野介の在宅日を執拗に探っていた状況を示す。
この過程で、浪士側は春満および茶人・中島五郎作(春満の支援者)のネットワークから得る情報を徐々に重視していったことが示される。
特に重要なのは、討入り前日の12月13日に春満が発した書状 であり、ここには「明日14日に吉良邸で茶会があるらしい」という情報が記されていた。
本文は「情報未確実」と書く一方、追伸(尚々書)には「14日の様にちらと承り候」とあり、
これは春満が直前に入手した新情報を急いで書き加えたものと分析される。
浪士たちはこの情報を受けて14日昼に吉良在宅を確認し、その夜に討入りを決断した。寺坂吉右衛門の『寺坂私記』にも、大石三平→大石内蔵助への情報伝達が即日行われた とある。
論文後半では、春満の江戸での人的ネットワーク、弟子関係、吉良家家臣との関係なども参照し、
春満が複雑な立場にありながらも密かに浪士に協力していた背景を考察する。
結論として筆者は、荷田春満は討入りの成否に影響を与えるほど重要な情報提供者であり、
浪士たちは討入り直前の段階で春満の情報に強く依存していたと位置づけている。








