Xで、こんな投稿を見かけました。
サウナの話です。
定期的に自動でロウリュが始まる店がある。
これが、火傷するくらい熱い。
ロウリュが始まると、中の客がぞろぞろ出ていく。
お店の人は、たぶん気づいていない。
サウナ好きのために、良かれと思ってやっている。
これは、こわい話だと思った
良かれと思ってやっていることが、
相手にとっては「出ていきたくなること」になっている。
しかも、やっている側は気づかない。
むしろ「サービスを提供している」と思っている。
思い当たることはたくさんあります。
宿題の量
「この子はもっとできる」と思って、課題を増やす。
本人にとっては、ただの無意味な地獄かもしれない。
成績の上がらない宿題w
時間の無駄。
(一方で、時間の無駄だと思うことに本質がある。)
Willbeでは、1.2倍の負荷を目指しています。
でも、その1.2倍が、本当に1.2倍なのか。2倍になっていないか。
面談の長さ
保護者面談を1時間ほどかけています。
丁寧に話したい。
お子さんのことを、できるだけ正確に伝えたい。
でも、相手は1時間も座っていたいだろうか。
自習室に来いと言うこと
「毎日来ていいよ」と伝えています。
来る子は伸びる。それは事実です。
ただ、来られない子にとっては、プレッシャーでしかないかもしれない。
途中式は大事だが、人それぞれ
「途中式を書きなさい」
これも、通り一辺倒で言うことではないのです。
途中式の書き方は、細かくいうとタイプによって違うのです。
英語のやり方を、また変えます
英語の学習方法は、ここ5年ほど運用を変えてきました。
英語の学習はそれぞれの生徒に対して10通りぐらいのパターンを使い分けています。それでも、救えていない子がいます。
長文の口頭和訳に、1つあたり30分かかる。
何度やっても、その時間が短くならない。
やり方が悪いのだと思います。
何かが足りない。
勉強方法を伝える。
基本的に細かい勉強方法は自分で考えるべきだとは思っています。
一方で、
勉強方法とは、ある程度の成功体験を積んだ後に、試行錯誤するものなのです。こちらが用意した方法を渡す。うまくいく子もいる。そこから彼らの試行錯誤が始まります。
でも、まだ成功体験のない子にとっては、ただの「やらされること」でしかない。そこは耐えねばならない。
だから、また英語の運用を変えます。
これも、良かれと思ってやっていることです。だから、また間違えるかもしれません。
これも、良かれと思ってやっていることです。
だから、また間違えるかもしれません。
「良かれ」はいちばん気づきにくい
誰が言ったのか知らないのですが、こういう言葉があります。
「地獄への道は善意で舗装されている」
悪意があれば、まだいい。指摘されれば直せます。
「良かれと思って」は、直らない。
やっている本人が、正しいと思っているからです。
サウナの店員さんは、
きっと「うちのロウリュは本格的だ」と思っている。
私も、同じことを言っていないか。
では、どうするか
答えは持っていません。
ただ、辞めていく子がいたとき、
「あの子には合わなかった」で終わらせない意識は必要です。
合わなかったのは事実かもしれない。
勘違いした一見さんお断り頑固おやじの高級料理店
とでも申しましょうか。
頑固おやじは素敵です。
「勘違い」がポイントですよね。
でも、自動ロウリュを浴びせていなかったか。
そこは、一度考えるようにしています。
私自身が自分の成功体験に固執しているかどうか。

