こんにちは
岩本接骨院さんから歩いて30秒。個別指導塾Willbeの光庵です。
さて、本日はWillbe図書館にある本をテキトーに紹介してい本日の読書です。今回は、内田樹さんの「先生はエライ」(ちくまプリマー新書、2015)でございます。
恥ずかしながら「うちだいつき」さんとインプットをしてしまっている私は、何度読んでも「たつる」さんと読めず四苦八苦してしまいます。
全く失礼極まりない話です。
大学入試・高校入試頻出
内田さんの著書は、高校入試や大学入試でよく出題されております。どうです?そう言われると俄然興味湧きませんか??
本を読めば国語が得意になるなどいうつもりはありませんが、国語が得意な子は「あるある」として問題文を読んでいるのも事実です。よって内田さんの本も読んでおいて損はありません。
「先生はエライ」
内田さんが本書を通して私たちに伝えとようとしたことは、以下に集約されます。
私たちが「あなたはそうすることによって何を伝えたいのか?」という問いを発する限り、私たちは学びに対して無限に開かれています。
私たちの人間としての成熟と開花の可能性はそこにあり、そこにしかありません。
本書は、中学生や高校生向けに書かれています。
内田さんが今の若い人たちを見ていて一番気の毒に思うことは「エライ先生に出会えていない」ということだそうです。
仮にも「先生」と呼ばれる職業についている私に緊張感が走ります笑。今の時代に「尊敬できる先生」がいないということなのでしょうか笑?
そうではありませんでした。
内田さんが本書を通して伝えたいことは「学ぶ姿勢」というべきものでした。一見、運命的に思える「尊敬できる先生」との出会いは偶然ではなく必然なのです。
先生は既製品ではありません。
恋愛と学び
学びの主体性
結局のところ学ぶというのは、主体性を意味します。「学ぶ姿勢」を持たない場合「エライ先生」には出会わないというのは言い過ぎですが、学ぶ姿勢を持っていれば「どんな人」「どんな物」でも「エライ先生」となり得るということです。もっと言えばこの世に「先生」は存在しないのです。学ぶ姿勢が「先生」を創り出すのです。
それが冒頭の引用に結論づけられています。
人はお互いに分かり合えた瞬間、分かっていると思っていることを見た瞬間興味を失います。「ツマラナイ」ものになります。
勉強に限らずコミュニケーションや経済やスポーツが「ツマラナイ」物ではないのは、「あなたがそうすることによって私に何を伝えたいのか」と考えてしまうことだと内田さんは言います。「恋愛と学び」という章があるのもそこを伝えたいからです。
私が要約すると薄っぺらい結論になってしまいますが、新書1冊をかけてしっかりと社会科学系大学学部で登場するような小難しい話を分かりやすく使って話してくれています。
サラッと読めますので、お時間あれば是非読んでみてください。
まとめ
たまたま沖縄の学習塾「ベンガル」のベンガル先生と会話をして思い出しかのように読んだ1冊です。
塾の先生が「先生などいない」「万物が先生だ」なんて言いながら「学ぶ姿勢」について書くのも変な話だと思いながら本書を読み、
内田先生のまとめ(オチ)にかなり「💢」っとさせられましたが、結局は、私も塾の先生として学ぶ姿勢を忘れず生きて行こうと改めて思ったというお話でした。