塾の先生としての長年のテーマであります。
進学校のカリッキュラムが良いから進学校に行くべきなのか?
凄い先生がいるから進学校に行くべきなのか?
「やらなければいけないこと」を提示して実行の圧力がすごいのか?
確かに、赤穂高校の「授業」で岡山大学/大阪大学へ進学することは困難です。
だから、カリキュラムや使用している教材というものも重要なのは間違いないのである。
しかし、良い大学とは何か?
環境なのだろうと思う。
大学という環境において、カリキュラムに身をゆだねている人は大成していないイメージがある。
大学こそ自学、、、単純な勉強という意味ではなく「何かを吸収してやろう」という姿勢。
それは、決して名前ではなく、そこに集う人が発するエネルギーの方向性なのだろう。
姫路東高校へ通う生徒は「私はそんなに頑張ってない、私よりもっとすごい人がいる」と言う。
そして、
「部活の先輩から共通テストや大学受験の心構え」のようなものを語ってくれるという。
少し横道をそれて今日思い出した私の高校時代の恥ずかしい話をする。
坂越中学校で学年最下位に等しかった私が勉強を続けていた理由はいくつかあるが、いま考えれば赤穂高校ソフトボール部笑の先輩たちの影響は確実にあったように思う。
私の1つ上の学年の理数コースは、赤穂高校理数コースでありながら10名程度大阪大学に進学した記憶がある。
大阪大学に限らず長崎大学薬学部に進学した記憶がある。
当時の赤穂高校としても異常なほどの進学実績だった。当時赤穂高校は400名中50名程度が国公立大学に進学する雰囲気だったと記憶している。
異常なほど勉強する先輩の存在というのは大きい。
「あたり前」の違い。
大阪府立大学工学部不合格から滑り止めの立命館アジア太平洋大学へ進学した私に受験の成功体験はない笑
でも当たり前のように「(それでも勉強を舐めていた記憶しかないですが)勉強しよう」「当たり前のように大学へ行こう」とと思っていた。
大人になってから同窓会で部活の先輩たちに聞いたことがある。
なぜその年の理数科だけ異常な進学実績だったのか。。。。
たまたま姫路西から来たの鬼のような先生が担任だったこともあるのは事実ですが、「ライバル」という言葉しか出てこなかった。
やる気にとって一番大事なのは環境なのではないかと思う。
当時は怖すぎて近りたくないし目を合わせることもいやだった1つ上の学年の理数科担任の先生が「赤穂高校に来ている生徒が姫路西の生徒と学力的に差があるかと言われればあるのは間違いないが、そこまでの差を感じない」とおっしゃっていたこともふと思い出した。
怖すぎて名前も顔もはっきり覚えている。もはやトラウマ。
しかし恐怖だけでは人は動かない。
いかにして火をつけたのだろう。このブログを書きながら会って話を聞いてみたくなった。
目指してやるかやらないか。。。。
大人の説教ではなく、
環境なのだと思っている。
エネルギーに満ち溢れている空間で、なんでも吸収してやろうと思っている人が多い空間で、環境が用意されている。
そこなんだろうと思う。
さて、
勉強する空気。
当たり前のように行動する空気。
頭が良いとか悪いとか、
そんなことは重要ではなく、当たり前のように行動することが大事。
塾であるから行動は勉強を意味する。
それを加速する試みを思いついた。
やろう。
そこにいる中学生高校生たちのエネルギー。
淡々と燃える炎。
着火しにいきますか。
ライバルの存在。
2021年度は塾生の4人に1人が上位10%以内
などど調子にのっておりますが、
もとから上位10%以内で入塾してきた中学生は皆無です。
みんな自分なりに勉強を工夫し、地道に勉強を続けてきた中学生たちです。
赤穂高校で1位になった子も、
姫路東で20位になった子も、
最初から成績が良かったわけではない。
成績を上げるほど勉強するエネルギーの伝染
伝統。
それを継続する仕組みを!!つくる。