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「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?【2025年1月の追加図書】

Willbe図書館






兵庫県赤穂市個別指導塾Willbeの光庵です。


今回の本は完全に私用です。なぜだか今井むつみ先生の本にハマっております。もともとは何かしらの言語学の本を読んだからではないかと記憶しております。





人は「寛容」「やさしくなる」ために勉強しているのかもしれない。

(↑本書の内容とは関係ありません。思い付きで書いてます。)





今井むつみさん

・慶應義塾大学環境情報学部の教授(2025年1月現在)

・専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。

・慶應義塾大学大学院博士課程を単位取得退学後、米国ノースウェスタン大学で心理学の博士号(Ph.D.)を取得。

・主な著書は、『学びとは何か』『英語独習法』(岩波新書)、『言語の本質』(中公新書)などがあります。特に『言語の本質』は「新書大賞2024」で大賞を受賞。

・研究活動では、言語の発達や学習過程、コミュニケーションにおける認知的メカニズムの解明に取り組んでおり、近年では『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』などの著作を通じて、認知科学の視点からコミュニケーションの本質と解決策を提案されています。また、広島県の教育委員会と協力し、学力不振でつまずく子供たちの支援にも力を注いでおられます。














「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?




大雑把に要約致しますと、



話が通じなくて困るということは多かれ少なかれ誰しもが経験することです。話せばわかるというのは「話し手」「聞き手」の誰かが悪いということではなく、誰のせいでもなくそもそも無理なことが多い。だから、話しても分からない理由を前提において話す必要がある。そんな話を「話しても分からない理由」とは?「話しても分からない理由を前提に話す」とは?



と言ったことが書かれています。






私が考えたこと

誰に勧めたいか?


Willbe図書館に置いてある本ですから、どういう人にどういうことを言われた時に「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」をお勧めするか?、どういう時に私はこの本を思い出すのだろう?


そんなことを読み進めていた結果、私なりの学問観を再確認する羽目になってしまいました。


私が勉強を続けたいと思っている理由の1つに「相手を知るために」ということがあります。人は自分の経験でしか価値観を醸成できません。自分の価値観に固執すると(あるいは固執していると気が付いていないと)相手のことが分からなくなり、分かり合えるということが出来なくなってしまいます。


人間がたった数十年で出来る経験というものは多くありません。少なくとも私は「10代を高卒として働く」という経験をすることが絶対に出来ません。だから、絶対に分からないのだと思います。塾ですから世の保護者様がどういう気持ちで我が子を塾に預けるのだろうか?予想はするが経験してきたことが違うので絶対に保護者様の気持ちは分かりません。


だから、私は勉強しなければなりません。それが、動画であろうと書籍であろうと実体験であろうとお母様方のお話であろうと知らねばなりません。


「単なる知識」でしか経験できないことが世の中にはあります。この世の中のすべてを体験することなど不可能なのです。養老孟子先生ではないですが「ものが分かるということ」って何なんでしょうね?














そういう意味ではすべての学習者に読んで欲しいとは思ってしまいました。


当たり前のように言われている「相手の事を考える」「相互理解」という甘ったるい言葉はまさに「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」が説明しているのです。




横断的な学問を学ぶ意味(リベラルアーツ)


リベラルアーツという言葉が生まれてどれぐらいの年月が経ったのかは分かりませんが、まだまだリベラルアーツを標榜する学校は多くあります。赤穂市近隣では姫路女学院がリベラルアーツを多用しています。


特定の分野に詳しくなることは、素晴らしいことです。一方で、物事のすべてを自分の得意分野から話すとい負の側面があります。不得意な分野を想像して話すことが出来ないのです。


故に、大学教育も「学際的」「国際的」といった言葉を多用するようになったのだろうと思うのです。分かり合えないことを前提に分かり合えない者どうしが物事を進めるには、相手の立場と置かれている状況など相手に詳しくなる必要があります。


社会学的も
経済学的にも
地域的にも
〇〇にも×無限


あらゆる分野に詳しくなれば相手が分かります。なぜそのような考えに至ったのかという過程が見えます。おそらく、分かり合えない両者は互いの背景を理解しなければ事を前にすすめる方法を思いつきません。「ひらめき」の所以がないのです。


もちろん、「勉強」「相互理解」などが面倒だから、わかりやすく分断を声高に叫び、自分が置かれている状況のみ厚遇されることのみ主張する態度も否定は出来ません。面倒だから😢








大学「教養科目」「教養課程」の意義

各大学に「教養科目」「教養課程」というものがあります。それは興味関心に自信がもてないから広く浅く学んで興味を決断するモラトリアムという側面と、相互理解のための一定の教養という側面があるのだろうと思います。






願わくば、



「国際」「学際」「リベラルアーツ」あるいは「学問の領域が広すぎて一見何をしているかわからない学部」を志望する方々には、



人間同士のコミュニケーションよって得られる知見にとどまらず、学問によっても知見を広げ、人間同士のコミュニケーションや課題解決に役立てる精神をもってその道に進んで欲しいと、



思います。





特定の分野の専門家からすれば「何がリベラルアーツだと」「学際的に学ぶってそんなに甘くない」と怒られようとも笑です。物理学者と数学者が喧嘩にみえるネタ喧嘩をしようともです。









文系不要論にたいするささやかな反論でもあります。










まとめ

聖人君主のようなことを申し上げて来ましたが、毎日、新しいことの発見と新しい知識との出会いです。3年前理解していなかったことが今年理解した気になり嬉しくなります。



私はまだまだです。
















自分が言っている事が相手に伝わらないことに悩んでいらっしゃる方。実はあなたのせいではないのかもしれません。


相手が言っていることが分からないと悩んでいる方。それはあなたのせいではないのかもしれません。


そういった状況に眼を伏せてももちろんよいと思うのでしょうが、前に進めたい場合、この本はお勧めかも知れません。










というわけで、


「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」


でした。












似たようなお話を非公式ブログにも書いているので、よければお付き合いください。







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小学生中学生にとってそこに本がある価値

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