国語が伸びない理由の多くは、
- 解き方を知らない
- 答案のルールを知らない
- 背景の考え方を知らない
このいずれかです。
今回ご紹介する2冊は、
受験生の国語/総合問題/英文解釈を
”解き方”だけでは到達できない
解答へと引き上げてくれます。
私は「哲学」「社会思想」「現代思想」といった分野を、まとめて「教養」と呼ぶことがよくあります。
映画の授業でも取り組んでいることですが、高校入試や大学入試における哲学は、難解な概念を暗記するためのものではありません。むしろ、「ものの見方の型」を身につけるための営みだと私は考えています。
映画の授業に参加してくれる中学生や高校生が、「200~300字程度の小論文」や「英作文」に強くなるのは、映画を通してその「ものの見方の型」を自然と身につけてくれるからです。
これは、受験国語にありがちな「5字~10字で書き抜きなさい」という訓練だけでは決して育たない力です。そして実は、大学生になってから最も必要とされる視点でもあります。
たとえば
- ルネ・デカルト → 方法的懐疑という思考の枠組み
- イマヌエル・カント → 認識の条件というフレーム
- カール・マルクス → 歴史を階級闘争として捉える枠組み
- マックス・ヴェーバー → 行為を「意味」の観点から見る枠組み
いずれも「世界をどう見るか」という視点の型を提示しています。
私達は、無意識に理解もしていないはずの「視点の型」を使って物事を考えています。それは、現代の多くの事象は、過去の哲学者たちが生み出した「視点の型」によって考えられているからです。
専門的に学ばなくても自然と触れているのです。「新しい視点の型」が求められるのは、それこそ最新の学術論文を発表する学者のみだといっても過言ではありません。
確かに、哲学や現代思想は、
「そもそも真理とは何か?」
「善いとはどういうことか?」
「言葉はどのように意味を持つのか?」
といった、前提そのものを疑う営みです。
同時に、前提そのものを疑うためのフレームワーク(怒られそうですが、「問題を解くための便利な枠」)を学ぶ学問でもあります。
「常識を疑え」「枠そのものを壊し、問い直す営み」こそ哲学の醍醐味ではありますが、高校生や学部生にはそこまで求められていないのです。
疑うべき「常識」「枠」が無いといえば受験生には失礼ですが、最新の社会問題を取り扱うにはやや知識不足だという点は、謙虚に受け止めるべきです。
故に、身近なテーマとして、高校入試では「自分」といった枠組みを考える小説が出題されるのです。
京都工芸繊維大学国語で求められている事
2022年度京都工芸繊維大学総合問題を読むための補助線
京都工芸繊維大学の総合問題を指導していることがありました。
高校生がどうも文章についてスッキリしない答案を出してきます。
読めていない訳ではない。
しかし、釈然としないし、上手にまとめることが出来ない。
そこで私は、なんとなくソシュールの記号論のような発想が必要ではないかと、軽くしましたを致しました。文章をロジカルによんでも分からないことはたくさんあります。
京都工芸繊維大学総合問題に取り組んでいる高校生がいれば是非一読くださいませ。
2022年度京都工芸繊維大学総合問題 タイポグラフィに関する評論
― ソシュールの記号論を少しだけ ―
ついでなので。
この問題をきちんと理解するための“補助線”として、
ソシュールの記号論について、少しだけ触れておきます。
■なぜソシュールなのか?
この本文を読み解くには、
文字やデザインは「意味そのもの」ではなく、
意味を運ぶための〈恣意的な記号〉にすぎない
という発想を、うっすらでも持っていないと難しいと思います。
これはスイスの言語学者「ソシュール」が提示した「記号論」の基本的な考え方です。
ソシュールによれば、
- 言葉(記号)と意味は本質的に結びついていない
- 形(音・文字)と意味の関係は恣意的である
つまり、
文字は意味そのものではない。
意味を“運ぶための装置”にすぎない。
この前提が、今回の本文の核心と重なります。
本文の主張を整理すると
本文で繰り返されているポイントは、概ね以下の四つです。
- 文字は思想・考えを伝えるための手段である
- 文字が目立ちすぎると、内容理解を妨げる
- 印刷物の目的は「美」ではなく「伝達」である
- 純粋芸術はその逆(意味を固定しない)
つまり本文は、
「文字・形」と「意味・思想」をいったん切り分けて考えよ
と言っているのです。
■ 文字が前に出すぎると本末転倒
本文の重要な指摘はここです。
「文字・形」が前に出すぎると、
「意味・思想」が読めなくなる。
それは本末転倒である、と。
しかし同時に、
「意味・思想」を伝えるためには
「文字・形」は必要でもある。
この緊張関係がポイントです。
ゴブレットの例が示すこと
黄金のゴブレットの例。
もし器が豪華すぎて、
- ワインの色
- 液体の透明感
- 香りから想像される物語
が感じ取れなくなるとしたら?
それはもう、器が主役になってしまっている。
ワインを味わうための器が、ワインを隠してしまう。
だからバランスを欠いている。
この具体例を通して、本文は「形と意味の関係」を語っているわけです。
なぜ直感的に難しいのか?
多くの受験生は、おそらく無意識にこう考えています。
きれいな文字
= 読みやすい
= 良い印刷物
でも本文は、それを単純化しすぎだと言う。
なぜか?
ソシュール的に考えるなら、
- 文字の形と意味は本質的に無関係
- 美しい書体や個性的なデザインが
意味伝達の邪魔になることもある
からです。
「美しい」ことと
「伝わる」ことは
必ずしも一致しない。
ここが直感とズレる。
名前は知らなくていい。でも感覚は必要。
入試で「ソシュール/記号論」と書ける必要はありません。
しかし、次の感覚は必要です。
- 文字は透明であるべき
- 文字は主役ではない
- 主役は「意味」である
この発想がないと、本文の抽象部分は読み切れません。
最大の誤読ポイント
本文が分かりにくい最大の理由は、
「美か実用か」
という二項対立で読んでしまうことです。
この読み方をすると、外します。
本文は単純に
美 = 悪
実用 = 善
と言っているわけではない。
もし「美」に意味や物語がないなら、
それはそれで空虚です。
つまり、
「美」と「意味/機能」は両立し得る。
問題は“比重”なのです。
印刷物においては
意味伝達の比重が高い。
純粋芸術では
形そのものの自律性が前に出る。
その違いを言語化できるかどうか。
ここが、この問題の本質だと思います。
京都工芸繊維大学の総合問題は、単なる読解力だけでなく、
「概念を整理する力」
を見ています。
そして、その背景には構造主義的な思考の匂いが、ほんのり漂っています。
だから、高校2年生には志望校がどこであれ「寝ながら読める構造主義」などをお勧めしています。
教養がないなら教養を身につけて受験国語に向き合うべし
教養としての大学受験国語【石原千秋】
この本のすごさは、
「大学受験国語」を“教養”として正面から肯定したところにあります。
石原千秋さんは、はっきり言います。
現代文は、
「作者の気持ちを考える教科」
ではない。
では何をする教科なのか?
それは
- 文と文の関係
- 抽象語と具体例の対応
- 対立構造(A ⇔ B)
- 評価語(よい/悪い、正しい/誤り)の所在
こうした文章の構造を読む訓練だ、というわけです。
特に印象的なのは、
「大学受験の国語は、実はかなり高度な読解トレーニングである」
という視点です。
✔ 設問はなぜその聞き方をするのか
✔ なぜこの選択肢だけがダメなのか
✔ 「なんとなく合っている」が通用しない理由
これらが、すべて論理的に説明されます。
国語が苦手な生徒ほど、
「自分は感覚がない」と思い込みがちですが、
この本を読むとその誤解がほどけます。
なぜならば、この本は、解き方と同時に
背景にある”知のフレームワーク”を教えてくれるからです。
国語は、ちゃんと“訓練できる教科”です。
寝ながら学べる構造主義【内田樹】
タイトルは軽いですが、中身はかなり本質的です。
この本が教えてくれるのは、
「人は、どうやって意味を読んでいるのか」という話。
ポイントはとてもシンプル。
- 意味は単語そのものにあるのではない
- 他との「違い」や「関係」で決まる
- 私たちは無意識に“構造”を読んでいる
たとえば
「自由」という言葉。
それ単体では意味はあいまいで、
- 管理 ⇔ 自由
- 強制 ⇔ 自由
- 規律 ⇔ 自由
こうした対立関係の中で、初めて意味が定まります。
これはそのまま、
現代文・評論文の読み方につながります。
✔ なぜ筆者はこの言葉を選んだのか
✔ 何と何を対立させているのか
✔ どちら側に評価が置かれているのか
こうした視点が自然に身につく。
結果として、
「何を言っているのか分からない文章」が
構造ごと見えるようになります。
2冊をあわせて読むと、何が起こるか
この2冊は、役割が違います。
- 『教養としての大学受験国語』
→ 受験国語の実践書・地図 - 『寝ながら学べる構造主義』
→ 意味理解の理論・OS
つまり、
なぜその読み方でいいのか
なぜその設問処理が正しいのか
が、両側からつながる。
国語が伸びない理由の多くは、
- 解き方だけ覚えている
- 背景の考え方を知らない
このどちらかです。
この2冊は、
「国語を感覚から論理へ」
引き上げてくれます。
最後に
言語化
国語が得意になる、というのは「本をたくさん読むこと」だけではありません。
- 言葉をどう切り分けるか
- 文章をどう構造化するか
- 意味をどこで判断しているか
それを自分の言葉で説明できるようになることです。
その入口として、
この2冊は本当に強い。
国語に苦手意識がある人ほど、
ぜひ一度、手に取ってみてください。






