兵庫県赤穂市の進学個別指導塾Willbeの光庵です。
兵庫県公立高校入試において、「内申点が大事だ」という話をよく聞きます。今日はそのことについて真実を塾講師の視点から話して参りたいと思います。
内申点とは何か?
兵庫県の公立高校全日制(普通・単位・総合学科)を対象にした一般選抜は、学力検査と調査書(内申点)を半分ずつで合否を判定する制度です。
学力検査は「国・数・英・理・社」の5教科を各100点で合計500点を0.5倍して250点、調査書は主要5教科評定×4、副教科4科×7.5で250点満点とし、計500点で判定されます。調査書は、中31学期~2学期の通信簿の評定が使用されます。
内申点の目安と内申点の計算についてはこちらを参照ください。
制度の大きな特徴は「複数志願選抜」。志願時に第1志望と第2志望の高校を登録でき、第1志望校の合否判定には一定の加算点(学区により20~30点)が加えられる仕組みです(例:第1学区+25点、第4・5学区+30点)。第2志望では加算されません。
なお、専門学科では「単独選抜」(第2志望不可)となり、総合学科で実技検査希望者は、出願時に学力検査の1科目と置き換える選択も可能です。
一般論としての内申点重要性
入試得点の半数を占める
500点満点中250点が内申点で、さらに、副教科は副教科4科×7.5ですから、重要なのは間違いありません。
蛇足ですが、内申点について不満に思っていらっしゃる保護者や中学生が多くいらっしゃるかもしれません。個別具体的な事例をあげていくと、確かに、”可哀そう”だと思ってしまうことが私もあります。しかし、全体的には内申点という制度は良くできていると思っています。
大学や高校側が一定程度内申点を求めている現状はよく分かります。良い内申点を獲得する「真面目さ」は社会において、一定程度必要なのだろうと思います。
私の本音
しかし、入試配点が高いことは間違いないのですが、私のブログで再三お伝えしている通り、内申点は必ずしも学力と比例しているわけではありません。
そこに、内申点が重要だという別の視点があります。
内申点が悪ければ逆転すれば良い
内申点が悪ければ逆転すれば良いのです。
姫路西に入学している生徒の内申点は「250点 オール5」でなければならないという噂を聞きます。しかし、私はその噂を聞くたびに全否定しています。
事実は、内申点オール4ぐらいまでの中学生が姫路西に入学しているからです。
問題の本質は、当日テストの点数を上げれるほど勉強する子がいないということ
弊塾の中3の夏休みは、朝9時から~13時と夜の通常授業を行っており、どの中学生も夏休みの間に200時間程度は最低限の勉強時間を確保するようにしています。
大学受験基準で考えたときに、学校の授業のない夏休みに10時間勉強することは当たり前だと思われます。また、大学受験生ならば学校のある平日も4~5時間勉強することは当たり前です。
確かに、それは大学受験であって高校受験ではありません。合格できない人数の方が多い大学受験と合格できる人の方が多い高校受験を比べてはいけません。しかし、その考え方が内申点を重要視させているのです。「中3だから頑張ろう」と誰しもが思いますが、実際は、
・塾の夏期講習に参加しました。
・いつも通り塾に通いました。
・学校の補習に行きました。
・学校の課題を一通り終わらせました。
で終わっている中学3年生が大半です。
それでは、差がつかないし、逆転は出来ません。
兵庫県公立高校は内申点の予定調和である
兵庫県公立高校は、内申点でほぼ合格不合格が決まっているようなものです。
倍率が高い年度や倍率が低い年度がございます。その意味では、例年通りならば受かっていたという気持ちもわかってしまいます。
内申点で合格不合格が決まってしまうのは、当日のテストの点数を上げられるほど勉強している子がいないというのが事実です。
中学3年生の当たり前では成績はあがりません。
悪口を言いたいのではなく。
どうしても逆転不可能だという内申点は確かにあります。さすがに内申点150点で姫路西に合格することは不可能です。
しかし、一般的に言われている目安の内申点から10点~30点下回っていたとしても合格は出来ます。
何故ならば、当日のテストの点数を上げられるほど、勉強している子はいないのです。
頑張るが嫌われているから、ちょっと頑張れば報われる世の中だ
今も昔も、努力は避けたいと思うのが人の心かも知れません。しかし、気合と根性という言葉が嫌われ、「普通で良い」「ふわっと生きていきたい」と思う人が増えていくならば、
「みんながやりたくないことをちょっと頑張れば」結果になりやすい世の中だということが出来ます。
今だからこそ、努力も悪いものではないと思っています。
本音は??
とはいえ、
「勉強が好き、学ぶこと」が好きな私からすれば、勉強を「具体性のない」「気合と根性」として語りたくはありません。
本来、学ぶことは楽しいのです。