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- じゅげむ
- 坂村真民の詩
- ごんぎつね 【新見 南吉】
- 注文の多い料理店 【宮沢賢治】
- どんぐりの山猫 【宮沢賢治】
- セロ弾きのゴーシュ 【宮沢 賢治】
- 走れメロス 【太宰治】
- 坊っちゃん 【夏目漱石】
- 石川啄木の短歌 【一握の砂 抜粋】
- 小林一茶の俳句
- 松尾芭蕉の俳句
- 平家物語 【祇園精舎】
- 源氏物語 【桐壺】
- 枕草子 【清少納言】
- 徒然草 【兼好法師】
- 日新公 いろは歌 【島津忠良】
- 千曲川旅情の歌 【島崎藤村】
- 雨ニモ負ケズ 【宮沢賢治】
- 高村光太郎の詩 【道程】【智恵子抄】など
- 東井 義雄の詩
- 学問のすすめ 【福沢諭吉】
- 論語 【巧言令色鮮なし仁】
- 大学 【曽子】
- 杜子春 【芥川龍之介】
- 蜘蛛の糸 【芥川龍之介】
- 羅生門 【芥川龍之介】
- 鼻 【芥川龍之介】
- 駆込み訴え 【太宰治】
- 女生徒 【太宰治】
- 富嶽百景 【太宰治】
- 檸檬 【太宰治】
- 放浪記 【林芙美子】
- たけくらべ 【樋口一葉】
- 遠野物語 【柳田国男】
- 学者アラムハラドの見た着物 【宮沢賢治】
- 乳母車/わが名をよびて【三好達治の詩】
- なやめるS子に/六魚庵哀歌/鳥は飛ばねばならぬ
- 個別指導塾Willbe 音読課題への想い
じゅげむ
坂村真民の詩
ごんぎつね 【新見 南吉】
ごんぎつね➀
開始位置15:10
ごんぎつね➁
注文の多い料理店 【宮沢賢治】
読んでみれば、ただただ「山の中にはいっていき趣味で狩りをする紳士が、山猫に騙されて食べられそうになる」というだけのお話ですが、
深く考えれば、いろいろ考えてしまう作品です。
それこそ、「平成狸合戦ぽんぽこ」のような「人間の業にあらがいながら、そんなこと無理だよね」といったこと感じるのか、結末の曖昧さでいうなら「もののけ姫」のように喩えることも出来ます。
登場人物が、猟を生業とした猟師ではなく「軍隊の格好をした紳士」であること、塩をぬるまでの巧妙な仕掛けの順序、を考えたときに、山猫によるただのいたずらとも言えず、最後の1説を考えると「間抜けなツメが甘い山猫の話」とも考えることも出来ず、、、
いろんな読み方が出来るのではないかと思います。
ご興味あれば是非、全編お読み下さい。
どんぐりの山猫 【宮沢賢治】
どんぐりの山猫➀
どんぐりと山猫➁
セロ弾きのゴーシュ 【宮沢 賢治】
開始位置 11:20
走れメロス 【太宰治】
走れメロス➀
走れメロス➁
開始位置 4:15
走れメロス③
開始位置 6:35
走れメロス④
開始位置 15:30
走れメロス⑤
開始位置 18:15
走れメロス⑥
開始位置 21:06
走れメロス⑦
開始位置 27:07
走れメロス⑧
開始位置 31:15
走れメロス⑨
開始位置 34:10
走れメロス⑩
開始位置 36:01
坊っちゃん 【夏目漱石】
坊っちゃんの続きが気になる方はこちらへ↓

開始位置 00:15
石川啄木の短歌 【一握の砂 抜粋】
小林一茶の俳句
松尾芭蕉の俳句
平家物語 【祇園精舎】
【現代語訳】(意訳)
祇園精舎の鐘の音は「諸行無常の響き」を伝える。
(釈迦の入滅時に白くなって枯れたという)沙羅双樹の花の色は、「威勢のある者も必ず滅びてしまうものである」という理を表している。
奢り高ぶった人もいつまでも驕り高ぶっていることはできない、ただ春の夜の夢のように「はかないもの」である。
勢いがあった者も最後には滅びてしまい「風でふきとぶ塵」とまったく同じである。
昔の中国の例を尋ねてみると、秦の趙高・漢の王莽・梁の朱伊・唐の安禄山、これらの人々はみんな元の主人や前の王様の政治にも従わず、楽しみを極め、人の諫めを聞き入れることなく、天下が乱れることを悟らず、民が愁う事も分かろうともしなかったので、栄華が末永く続かず滅びてしまった者どもである。
最近の日本の例を探って見ると、承平の乱の平将門・天慶の乱の藤原純友・康和の乱の源義親・平治の乱の藤原信頼、これらの人々は、奢れる心も勇ましい事もそれぞれ甚だしかったが、最近では、六波羅の入道・前の太政大臣 平朝臣清盛公という人の驕り高ぶり・横暴な有様を聞くと、なんとも言葉では言い表すことができないのである。
源氏物語 【桐壺】
どの帝のころだっただろうか。
女官(女御や更衣)が大勢お仕えなさっていた中に、たいして高い身分ではない方で、(帝の)寵愛を受けていらっしゃる方(桐壺)がいた。
最初から、自分こそは(帝の寵愛をうけよう)と気負っておられた方々は、(桐壺を)軽蔑したり妬んだりなさる。
(桐壺と)同じ身分やそれより低い身分の女官達は、さらに気が気では無い。
(桐壺は)朝晩のお勤めになるときも、他の人々の心をさわがせてばかりいて、恨みを受けることが積もり積もったせいだったのだろうか、(桐壺が)ひどく病弱になっていき、なんとなく心細い様子でよく実家に帰っていたのを、(帝は)ますます飽き足らず愛おしいとお思いになって、人々の非難を気にされることも出来ずに、世間の話題になるに違いないようなふるまいである。
大納言など高級官僚(公卿・殿上人)たちもなんとなく目をそむける状態で、まぶしいほどのご寵愛ぶりである。
「中国でも、このようなことが原因で世の中が乱れ悪くなったのだ」と次第に世間でも苦々しく思われ、人々の心配の種になり、(世間の人々が)「楊貴妃の事例」まで引き合いに出しかねないほどになっていくので、(桐壺にとって)大変不都合なことが多いけれども、もったいなく恐れ多いほどの(帝の)寵愛を頼りにして(他の人に)交じって(宮仕えをして)いらっしゃった。
枕草子 【清少納言】
徒然草 【兼好法師】
現代語訳などはこちらを参照下さい。
日新公 いろは歌 【島津忠良】
千曲川旅情の歌 【島崎藤村】
用語解説、現代語訳などはこちらを参照下さい。
雨ニモ負ケズ 【宮沢賢治】
高村光太郎の詩 【道程】【智恵子抄】など
東井 義雄の詩
学問のすすめ 【福沢諭吉】
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われています。
つまり、天が人を生み出すに当たっては、人は同じ権利をもち、生まれによる身分の上下はなく、(動物の中で)もっとも優れている「人」として身体と心を働かせて、この世界の様々なものを使って必要な衣食住を満たし、
自由自在に、また、互いに人の邪魔をしないでそれぞれが心身に苦痛がないように、この世をすごしていけるように(天)がしてくれているということです。
しかし、この人間世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいます。貧しい人も金持ちもいます。また、社会的地位の高い人も低い人もいます。こうした雲泥の差とよぶべき違いはどうして出来ているのでしょうか?
その理由はかなりはっきりしています。
(江戸時代の寺子屋などで使用された)「実語教」という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である。」と書かれています。
つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのです。
また、世の中には難しい仕事もあるし、簡単な仕事もあります。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人といいいます。心を働かせて仕事をする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単なことが多いです。
だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く重要な人といえます。
社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものからみれば到底手の届かない存在に見えたりします。
しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いが出来ただけであり、天が生まれつき定めた違いではありません。
西洋のことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉があります。
つまり、
生まれた時には、貴賤や貧富の区別はありません。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っている者は、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になる、
ということです。
「現代語訳 学問のすすめ 斎藤孝 ちくま新書」参照 一部改
論語 【巧言令色鮮なし仁】
大学 【曽子】
杜子春 【芥川龍之介】
杜子春➀
杜子春は金持ちの息子ですが、財産を使い果たしあわれな状況になっています。 そんな杜子春が中国は洛陽の西側の門の下でぼんやり空をあおいでいる。 空には、ほそい月がかすかに白く浮かんでいる。
そんな状況から始ります。
杜子春➁
貧乏な杜子春が老人から黄金を手に入れる方法を聞いた後、すぐに大金持ちになりました。 大金持ちになった杜子春は立派な家を買い、贅沢な暮らしをはじめました。今まで杜子春に見向きもしなかった友達も杜子春の家に遊びにきました。 しかし、 手に入れた黄金を使い切り、また貧乏になってしまいました。貧乏になると友達は家に遊びに来てはくれません。 そして、 杜子春は黄金を手に入れる方法を教えてくれた老人と出会った洛陽の西の門に向かったのでした。 朗読は、そんな場面から始ります。
杜子春③
杜子春が洛陽の西門で出会った老人は、峨眉山という山に住む「鉄冠子」という名の仙人でした。その場で杜子春は鉄冠子の弟子になり、早速、峨眉山に向かい修行を始めました。
杜子春④
雷・滝のような雨にうたれながら、仙人:鉄冠子に言われた通り修行をしていた杜子春の眼前に、身長9メートルはある大男が現われました。 杜子春が峨眉山にいることが気に入らない大男は杜子春に威圧する場面から朗読は始ります。
杜子春⑤
様々な試練に耐えてた杜子春でしたが、母親とおぼしき声におもわず声を発してしまいました。 そんな状況から朗読は始ります。
蜘蛛の糸 【芥川龍之介】
羅生門 【芥川龍之介】
雨が止むのを待っていた下人に何か目的があった訳ではない。雨が止んでもすることが有るわけでもない。このまま飢え死にを待つしか無い状況にある男だったのだ。
生きるためには手段を選んでいる場合ではないと分かりながらも、盗人になる決断が出来ずにいたのである。
悩みながらふと羅生門の2Fにあがり、様子をうかがうと白髪頭の老婆を見付けた。
そんな場面から↓↓がはじまる。
下人は、老婆がなぜ死人の髪の毛を抜くのか、分からなかった。しかし、理由はどうあれ許されることではないと怒りに満ちていた。もう盗人になろうと思っていたことも忘れているほどに。。。。
老婆に髪の毛をぬく理由を問い詰めると、「カツラ」を造るためだという。
それを聞いた下人のセリフから↓↓が始る。
鼻 【芥川龍之介】
ご飯を食べるにも弟子に手伝ってもらわなければならない内供は、当然、鼻によって傷つけられる毎日を過ごし、他人と自分の鼻を比べては落ち込んでいた。あるときは鼻を短く見せる方法を考えては失敗し、ねずみの尿を塗っては失敗し、自分と同じような鼻を持つ人を探して気を楽にようとしてみたりしてみたが、鼻が長い事実は変らなかった。
ある日、弟子が鼻を短くする方法を医者から聞いてきたという。その方法は、ただ熱いお湯で鼻をゆでて、それから他人に踏んでもらうという方法でした。
興味がない素振りをみせながらなんだかんだ、その方法を試してみるところから↓↓↓が始る。
実際に試して見ると鼻は短くなりました。次の日からは、また鼻が元に戻らないかと心配しながら何をするにしても、鼻を触りながら長さを確かめていた。鼻は長くはなってはいなかった。
ところがである。↓↓
その後、風が強く急に寒くなったある日の夜、内供は鼻がむず痒く熱を持っていることに気がついた。無理矢理鼻を短くしたことで病気になったのだろうか、、、
駆込み訴え 【太宰治】
女生徒 【太宰治】
富嶽百景 【太宰治】
檸檬 【太宰治】
放浪記 【林芙美子】
国語は、幅広い分野から問題が出題されます。
大学で学ぶべき内容も高校入試や大学入試において出題されます。
語彙力が意味するものは曖昧です。
言えることはやはり、言葉にイメージが伴っていないと言葉を暗記しても文章は読めません。また、サザエさんの使ってお話ししたとおり、古今東西の文化について精通していると物語にしろ説明文・評論文にしろ、読みやすくなるのは間違い在りません。
国語が得意なお子さまは、読解力以前に幅広い教養と持っていることは間違いありません。
「放浪記」は、1910年代、つまり第1次世界大戦頃に書かれた「随筆・エッセイ」のようなものです。
「放浪記」を通して、大正から昭和の文化を感じ、「炭鉱街」「トロッコ」「芝居小屋」といった時代が象徴する言葉に触れて頂ければと思います。例えば、「放浪記」を音読為た後に「生野銀山」を何かで訪れればまた違った世界で生野銀山を楽しむことが出来るのかも知れません。
頭が良いと言われている要素は、そういった文化的素養に触れることで劇的に伸ばして上げることが出来ます。
親子で大正~昭和初期の文化に触れてみて下さい。
晩ご飯を食べながら、音読で出て来た言葉を家族であ~だこ~だと会話があればなおのこと素敵です。
たけくらべ 【樋口一葉】
弊塾にもおいてある「たけくらべ」
「樋口一葉??五千円札の人だよ」と説明出来る日も少なくなって参りました。そんな寂しさを動画のサムネに表現しております笑。
残念ながら「たけくらべ」はかなりの長編小説ということもあり、音読箇所は弊塾にはおいてありません。。。(@_@)
物語の舞台は東京。千束神社の夏祭りから大鳥神社の酉の市までの季節の推移を共に展開していく少年少女の、いわば初恋の物語です。
千束稲荷神社のHPは、樋口一葉をかなりゴリ押しております。
↓↓
音読していただくのは、「信如(男)」が「美登利(女)」の家の前を通りかかった際に、「信如」の下駄の鼻緒が切れてしまうという場面。わけ合って2人の心の距離は遠く離れており、そんな折の思わぬ再会でした。言葉をほとんどかわすことなく、2人の心の動きだけで魅せる場面描写はドキドキします。脳内映像をお楽しみ下さい。
音読部分も一度読んだだけでは、どこからどこまでが「信如」のシーンで、どこから「美登利」のシーンなのか戸惑うやもしれません。
よくよく2人の動きを追いかけて読んでみて下さいませ。
2人が偶然再会するシーンの始まりです。
話はズレますが、弊塾においてある「坊ちゃん」というマンガ。
音読教材にも取り入れている「坊ちゃん」(夏目漱石)を書き上げるお話でございます。
樋口一葉と夏目漱石は、家族を通してかなり深い関係だったようで、「坊ちゃん」に登場する「清」は、樋口一葉をモデルにしているようです。
この小説を書き上げる樋口一葉に「清」の姿は想起出来るのでしょうか??
こちらを音読為た後に、ぜひぜひ坊っちゃんをお読み下さい。
坊っちゃんは「たけくらべ」に比べると読みやすいです。
遠野物語 【柳田国男】
『遠野物語』(とおのものがたり)は、柳田国男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話/伝承などを記した説話集です。今なお語り伝えられている民間信仰や異聞怪談の数々。山の神、山女、雪女、天狗、川童(かっぱ)、オシラサマ、オクナイサマ、ザシキワラシ……。
Willbe図書館には、水木茂版「遠野物語」、井上ひさし「新釈遠野物語」をおいておりますので、どうぞご堪能くださいませ。
学者アラムハラドの見た着物 【宮沢賢治】
乳母車/わが名をよびて【三好達治の詩】
なやめるS子に/六魚庵哀歌/鳥は飛ばねばならぬ
個別指導塾Willbe 音読課題への想い
兵庫県赤穂市の学習塾「個別指導塾Willbe」小学生の音読用見本です。
1分~2分で取り組める音読を行い、提出してもらう課題です。
現代の社会では、共通テスト/高校受験しかり頭の回転が速いことが求められます。もちろん小学低学年の間はゆっくり深く考えて欲しいのですが、スピードの向上も意識せざるを得ません。
音読を続けて行くと、いろいろな物事を素早く話せるようになったり、滑舌能く話す、分かりやすい言葉で話すトレーニングになったりします。
私は小さな頃から素晴らしい日本語に出会うべきだと思っています。
私自身は、高校時代の国語の偏差値は70前後でしたが、まったく国語の勉強をしてはいませんでした。古文も漢文も現代文もなんとなくこれだと思うことを選び、書いていれば正解していました。
今の共通テストと昔のセンター試験を比べるわけにはいきませんが、私が国語が得意だったのは、ひとえに小さな頃からの読書でした。夏目漱石の言葉には夏目漱石の言葉があり、世界観があります。
確かに、小学生に、大学/論語/走れメロスを音読為て貰ったとて、意味が分かるはずもありません。私も司馬遼太郎の小学校の頃に理解していたのかと言われれば分からない言葉が多かったようには思います。
しかし、それで良いのです。
様々な言葉に触れ、様々な言葉をリズム良く読むことで、「言葉の感じ」「雰囲気」を先に分かって欲しいのです。
その言葉に、後から中学生や高校生として出会ったときに、その言葉が概念として落ちやすいのです。
そうすると、
現代文を勉強する際に、現代文重要ワードを○暗記するという苦行が減っていくのです。
当然、弊塾には勉強が苦手なお子さまも得意なお子さまもいらっしゃいます。教科書を音読すれば勉強が得意なのか、不得意なのか一目瞭然です。小学校から出される課題でもっとも重要な宿題は、教科書の音読なのだろ思います。
赤穂の皆様にも、勉強が苦行になるまえに、音読に取組んでいただきたいなと、せつに願います。