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「書く」ということ。

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「映画で学ぶ知の技法」



本日の映画は



「ヴィンセントが教えてくれたこと」



でした。









ようやくWillbeっ子の感想を読み終えました。次会った時はなんて声かけようかな〜とか考えながら読んでますと、結構、時間がかかるわけです。



苦しくもWillbeっ子の感想に「人は表面をさらっと見ただけでは理解できない」といったことが書かれてありましたので、



Willbeっ子からの挑戦状だと勘違いした私は感想文に睨めっこし続けているのです笑









映画を観て、感想書いて、授業する。



ただ、それだけのことですが、



感想を書くということに意味があります。






世間では「読解力の危機」「AI vs子ども達」「Youtubeのような単純なものを見ていては国語力が低下する」などと言われております。



その通りだと思うのですが、



では、子ども達の読解力をどのように伸ばしていけば良いのでしょう。







技術だとかテクニックだとかそういうものは確かにあるのですが、そういうものは「渇望」している人にしか響かないわけですし、



国語のテストで点数を取る技術のようなものは、それこそ、コスパ以外の何者でもないと思うのです。(試験を突破するというのは重要なことですから、そこはそこで受け入れて身につけては行くべきです。)







「渇望」するにはどうすれば良いのだろう。







①他人の頭の中を覗いてみるということ。

=自分1人では気がつけなかったことを他人が気づかせてくれる。

=そこに正解がある必要があるのだろうか?



②向き合うしかない。

主語だとか述語だとか接続詞だとか代名詞だとか、そういうことも大事なのですが、、、

読解力なるものは、結局は、真摯に向き合うしかないのです。

気がつきたい、わかりたい、という渇望とともに向き合うしかないのです。







気がつきたい、わかりたいと思わない文章を読んで、それを理解しなさいというのも酷な話であります。



「学ぶ姿勢によって、身の回りの『全て』が先生に変わりうる」でありますが、そういう気分でないこともあるわけです。









しかし、、、



しかし、、、






私は、



映画を100分見て、



40分ほどかけて真摯に感想文を書くWillbeっ子の姿を見て、感動を覚えます。





確かに、



私たちが唸るほどの感想を書く子もいるという意味では、優劣のようなものを中学生に感じさせてしまうのかも知れないが、



そうではなく、



そうではなく、




「見たもの」「感じたもの」を真摯に言葉にすることで、言葉にしようとすることで細部を見ようとする意識が生まれるのだろうと思います。



一見、拙い文章を書いてそうで、



キチンと映画を捉えれていたりする訳で、



そこが素晴らしいと思うのです。









ある子が、


「先生と私の違いは『慣れ』の違いなんだと思いました」


と授業後の感想に書いていました。





(映画を見た後の感想、授業を受けての感想、と2回書いてもらっています。)








そうなのだと思います。



慣れているだけです。



慣れれば良いのです。










国語が苦手だという子は、色々な原因がありますが、根本的には「慣れ」なんです。


ポケッと読むことに慣れているのです。








ポケッと読まず真摯に読むことに慣れれば良いのです。


だから大丈夫です。








みんなもっと書けるようになります。








変に大人ウケする感想を狙わなくて良いですし、



どこかで書かれているようなことを書かなくても良いのです。



等身大の自分を書いてくれればそれで良いです。












もし、、、、




他人の感想を読んで、



すごいと思ったならば、



そうなるよう「お目目カッぽじって」「お耳の穴を掃除して」見逃さないように見れば良いのです。







んが。






え〜がなWillbeっ子。




向き合ってたよ。



この時間まで私があなた達の感想を読んでいるのは、



貴方達の真摯さ



があるからなんだと思います。







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