【生命倫理】「取扱説明書」を持って生まれる命? 兄を救うために誕生した「救世主きょうだい」のジレンマ

「生命倫理:人間の設計と自由」「人生の地図は、自ら描くもの」というテキストが配置された、生命倫理をテーマにした絵画風のサムネイル画像。左側には哲学者カントと機械の人間、天秤に乗せられた胎児が描かれ「命の手段化と尊厳」を問いかけている。右側には哲学者サルトルと、自ら軌跡を描く手が配置されている。その中央で、一人の若者が自分に与えられた「設計図(取扱説明書)」を破り捨てており、あらかじめ決められた目的を乗り越えて、自らの人生の主人公として歩み出そうとする姿が象徴的に描かれている。現代文あるある

上記の記事で、

実存主義の「人間は、目的(取扱説明書)がないままこの世にポンと生まれ落ちる(実存は本質に先立つ)」というお話をしました。

スマホやハサミのような「モノ」とは違い、人間には「お前は将来、人を救うためのマシーンとして作ろう」という事前の設計図はありません。

だからこそ人間は自由であり、自分で生きる意味を決めなければならないのだ、

と。

しかし、

現代の医療技術は、この哲学の大前提を根本からひっくり返すような、ある「新しい命の誕生」を可能にしつつあります。

それが今回のテーマ、「救世主きょうだい(Savior Sibling)」です。

現代文や小論文、倫理の入試で頻出する「生命倫理」の最前線であり、私たちに重い問いを突きつけるこのテーマについて、一緒に考えてみましょう。


「兄を救う」という明確な目的を持った命

たとえば、あなたの幼い兄が、白血病などの重い血液の病気にかかってしまったとします。

助かる道の一つが、白血球の型(HLA型)が一致するドナーからの「骨髄移植」などです。

しかし、家族の中に型の合う人がおらず、骨髄バンクを探してもドナーが見つかりません。

このままでは、兄は助からない。

そのとき、医師から一つの提案がなされます。

「体外受精を行い、受精卵の段階で遺伝子を検査(着床前診断)して、お兄ちゃんと型が一致する受精卵を選んでお母さんの子宮に戻し、新しい弟(妹)を出産してみてはどうでしょうか」

新しく生まれてくる弟のへその緒の血液(臍帯血)などを移植すれば、お兄ちゃんが助かる可能性が高まります。

こうして、上の子どもの病気を治療するための「最適なドナー」として、遺伝子を選択されて意図的に誕生させられた子どものことを、「救世主きょうだい(ドナー・ベビー)」と呼びます。

※海外ではすでに実例があります。
白血病の姉を救うためにドナーとして生まれた妹を描いた映画『私の中のあなた』〔原作:ジョディ・ピコー〕も、まさにこの問題を扱った作品です。)


サルトルの「実存主義」が崩壊する?

ここで、前回の「実存主義」の話を思い出してください。

「人間は、とりあえずこの世に生まれ落ちる(実存)のが先! 自分の生きる意味やキャラ(本質)は、あとから自分で決めるしかないんだ!」

ところが、「救世主きょうだい」として生を受けた弟には、誕生する前から明確な設計図がありました。

【弟の取扱説明書】

製造目的:
兄の病気を治すための、細胞・組織の提供者(ドナー)となること。

仕様:
兄と白血球の型が一致するように、複数の受精卵の中から選別された。

そう、このケースにおいては、人間の命が「スマホ」や「ハサミ」と同じように、明確な「目的(本質)」を先に設定されてから誕生(実存)しているように見えます。

科学の力によって、「実存は本質に先立つ」という哲学のルールが、部分的に覆されてしまったかのような瞬間です。


カントの激怒と、親の切実な愛

現代文や倫理の筆者たちは、この技術に対して非常に複雑な思いを抱き、時に激しく警鐘を鳴らします。

その批判の根拠としてよく使われるのが、近代哲学の巨人・カントの考え方です。カントは、人間を扱う上での大切なルールをこう示しました。

「人間を、単なる『手段(道具)』としてのみ扱ってはならない。常に『目的』そのものとしても尊重せよ」

救世主きょうだいは、誰が何と言おうと兄を助けるという崇高な目的です。

想像もしたくありません。

しかし、

新しい命を「医療の道具(手段)」として作り出しているのではないか?

それは人間の尊厳を踏みにじる行為ではないのか?

というのが、倫理的な最大の批判です。

しかし、親の立場に立ってみればどうでしょう。

目の前で我が子が死にかけている。新しい子を産めば、この子を救えるかもしれない技術が目の前にある。「人間を道具にするな」という立派な哲学の理屈だけで、親に「上の子を見殺しにしろ」と言えるでしょうか。

しかも、親は新しく生まれてきた弟を「単なる道具」として扱うわけではありません。兄を救ってくれた弟を、間違いなくかけがえのない我が子として愛するはずです。

一方で、生まれてきた弟には、どのような葛藤が生まれるのだろうか。

「正論(人間の尊厳)」と「感情(家族の愛)」。

この簡単には答えの出ないドロドロの葛藤こそが、最前線のテーマとして、生命倫理の小論文や現代文で出題されているのをみかけます。

軽々しくも、機械のような言葉を使って、現代文の読解アルアルとして書いていて、嫌な気持ちになります。

生命倫理

本文中に「着床前診断」「デザイナー・ベビー」「臓器移植の倫理」といった言葉が出てきたら、筆者の立ち位置(スタンス)を瞬時に見極めていきましょう。

ここで重要なことは、アナタの感情を抑えることです。

出題者は、あなたが反対、あなたが賛成、など聞いていないのです。

まずは、生命倫理を考えるために、必要な論点をまとめるということが大事なのです。

アナタの感情を冷徹にまで忘れて、感情だけで読まないことが鉄則です。

考えるべきことを整理したうえで、感情に従ってください。

筆者が警戒しているもの(敵):
科学技術の暴走、命の「手段」化(道具化)、人間の思い上がり、効率やデータだけの判断

筆者が守りたいもの(味方):
人間の尊厳(カント的視点)、命の不可侵性(アンタッチャブルな領域)、生まれてきた子どもの自己決定権

筆者は基本的に「科学の進歩は素晴らしい!どんどん命をデザインしよう!」とは言いません。

多くの場合、「技術は進歩したが、私たちの倫理観(心)がそれに追いついていない。もっと慎重に、命の尊厳について議論すべきだ」という、立ち止まり・熟考するスタンスに着地します。


まとめ:

救世主きょうだい
= 「兄を救うため」という目的(本質)を先にあてがわれて生まれた、とされる命。

たしかに、彼らは「目的が先」という、実存主義の例外のように見えるかたちで生まれてきたかもしれません。

しかし、彼らが成長し、物心がついたとき、こう自問する日が来るかもしれません。

「僕は、兄を助けるための『部品』として生まれてきたのだろうか?」と。

その事実に傷つき、苦しむこともあるでしょう。

かなりの苦しみです。

しかし最終的には、その「あらかじめ書かれていた取扱説明書」を破り捨て、あるいは書き換えて、「医療の道具ではなく、自分自身の人生を生きる『私』」としての生き方を、自分で選び取っていくことを求められます。

どれほど科学が命をデザインし、目的を与えて誕生させたとしても、最後にその人生を引き受け、意味を決めるのは、やはり本人(実存)なのです。

実存主義で触れたように、自己責任論と混同してはいけません。

科学がどんなに進歩しても、私たちが「自分の生きる意味を自分で決める」という自由の刑(実存主義)から、完全に逃れられる日は来ないのかもしれません。

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