現代文あるある④【身体論】-頭ではなく「体」で世界を経験するということ

現代文あるある



前回③「近代芸術」では、近代になって芸術家たちが突然「自分の内面」「自分らしさ」を表現し始めた、その理由を見てきました。

「私(主体)」が世界を切り取って表現する――それは、デカルト的な「主体としての人間」が芸術の世界でも実現していった姿でした。


しかし、その「自分」とは何でしょうか?

「考える私」「感じる私」――近代は「私」を「内面の意識(心)」として扱ってきました。

でも、私たちには「身体(からだ)」もあります。

走れば息が切れ、痛みを感じ、お腹もすく――その「身体」は、いったいどんな意味を持っているのでしょうか?

今回は、デカルトが軽んじた「身体」を主役に据えた思想――「身体論」を見ていきます。



近代の人間観

ヨーロッパ近代では、
人間は次のように考えられていました。

精神

身体

です。

そしてこの二つは、

精神のほうが上

とされていました。

理由は簡単で、

人間を人間らしくするものは
理性だと考えられたからです。

有名な言葉があります。

「我思う、ゆえに我あり」

デカルトです。

考えること。
理性的に判断すること。

それこそが人間の本質だとされたわけです。

デカルトの話は、第2回「自然と人間」で詳しく話しました。

もう少し深堀してみます。


身体は軽視された

「人間を人間らしくするものは理性だ」とするとどうなるか。

身体は

理性に従うもの

になります。

①痛くても走る

マラソン選手が、
足が痛くてもゴールまで走る。

「身体はつらい」と言っている。
でも理性は

「ゴールまで走れ」

と命令する。

つまり

身体は理性に従う

と考えられるわけです。


②眠くても勉強する

受験生が
夜遅くまで勉強する。

身体は

「もう寝たい」

と言っている。

しかし理性は

「明日の試験のために勉強しろ」

と言う。

そして身体を動かす。


つまり、

身体は
ある意味

機械

のように扱われます。

西洋医学が発展するのも
この発想の延長です。

身体は部品の集合であり、
壊れたら修理すればいい。

臓器移植なども
この発想の上にあります。


でもそれで人間は説明できるのか

しかし、だんだん疑問が出てきます。

本当に人間は
理性だけで生きているのか。

例えば、

・怪我をしたときの痛み
・風の冷たさ
・匂い
・食べ物の味

私たちは

身体で世界を感じている

のではないか。

理性だけで世界を理解しているわけではない。


身体を見直す思想

そこで出てきたのが

身体論

という考え方です。

人間とは

精神だけでも
身体だけでもない。

身体を持って世界の中に存在している

存在だ。

例えば、

① 緊張すると声が出ない

発表のとき、頭では

「大丈夫、落ち着こう」

と思っていても、

  • のどが詰まる
  • 声が震える
  • 手が冷える

ことがあります。

これは、身体がすでに世界との関係を引き受けているからです。
人前という状況を、身体が先に受け取っている。


② 好きな場所は身体が覚えている

あるカフェや図書館に入ると落ち着く。
逆に、ある教室に入ると何となく苦しい。

これは頭で理屈を考える前に、身体が

  • 明るさ
  • 匂い
  • 距離感
  • 空気感

を受け取っているからです。

世界はいつも、身体にとっての居心地としても現れています。


③ 自転車は「考えて」乗っていない

自転車に乗るとき、

  • 重心
  • バランス
  • ペダルの踏み込み
  • ハンドル操作

をいちいち言葉で考えていません。

でも身体はできる。

これは、人間が
身体を通して世界の中で行為している
ことの典型です。


この考え方を

身体的実存

と言います。


世界は身体で理解される

例えば

同じ場所でも

  • 寒い人
  • 暑い人

では感じ方が違います。

同じ音でも

  • 音楽家
  • 普通の人

では聞こえ方が違います。

「音の物理が違う」という話ではなく、
音の経験が違うという話です。

つまり

同じ音
= 同じ振動

(振動については中学理科で習いましたね。)

でも

身体の経験が違うと、意味や聞こえ方が変わる

ということです。


①物理的には同じ音

例えば

ピアノの「ド」

  • 周波数
  • 振動

としては同じです。

音楽家も普通の人も
同じ空気振動を受けています。


②でも聞こえ方は違う

音楽家はその音を聞くと

  • 音程のズレ
  • 音色
  • ハーモニー
  • 和声
  • 音の重なり

などを感じます。

例えば

「今のド、少し低いな」

とか

「このコードはドミソだな」

とか。


一方、普通の人は

「ピアノの音だな」

くらいにしか感じないことが多い。


③なぜ違うのか

これは

身体の経験

が違うからです。

音楽家は

  • 長い訓練
  • 演奏経験
  • 身体の記憶

を持っています。

耳だけではなく

  • 指の感覚
  • 呼吸
  • リズム

なども含めて
身体が音楽を覚えている


④つまり何が言いたいか

世界は

「ただそこにある」

わけではなく

身体の経験を通して現れる

ということです。

同じ音でも

  • 音楽家にとっては「和声」
  • 子どもにとっては「音」
  • 犬にとっては「高い音」

になります。


⑤他の事例

ワイン

ソムリエ
→ ベリー、樽、酸味などを感じる

普通の人
→ 赤いワインだな


コーヒー

バリスタ
→ 苦味・酸味・焙煎度

普通の人
→ 苦い


野球

プロ
→ 回転、球種、コース

素人
→ 速い


つまり

身体の経験が世界の見え方を変える

世界は

身体を通して経験される

という話です。




近代は視覚を重視した

近代社会では、

感覚の中でも

視覚

が最も理性的だと考えられました。

「百聞は一見にしかず」

という言葉があります。

見ることは
客観的で
合理的

とされたのです。

だから

  • 建築
  • 都市
  • デザイン

視覚中心

で作られてきました。


第3回「近代芸術」

☝ここで芸術の話をしました。

ここで芸術を「視覚中心」にお話ししたのは、話を近代までで止めておきたかったからです。

芸術も視覚以外の感覚を使用する時代はやってきます。

それは機会があれば、書きます。




しかし人間は視覚だけで生きていない

実際の人間は、

視覚だけではなく

  • 匂い
  • 温度
  • 空気
  • 触感

など

複数の感覚を同時に使っています。

例えばレストラン。

レストラン。

料理は

味だけでなく

  • 見た目
  • 匂い
  • 雰囲気

すべてで体験されています。

このように複数の感覚が結びついて世界を経験することがあります。

厳密ではないので学者さんに怒られてしまいますが、

心理学用語で共感覚

哲学用語では「感覚の相互作用

と言います。

ざっくりとした理解ではこれで大丈夫です。




現代の考え方

現代では

世界は

身体の感覚の相互作用

で理解されると考えられています。

つまり

人間は

世界を

身体を通して経験する

存在なのです。


現代文あるある

ここまで読むと、

現代文でよく見る流れが見えてきます。

近代
理性中心
精神>身体

身体論
身体経験の重視

実存主義
現象学

さらに進むと

構造主義
ポスト構造主義

という話に繋がっていきます。

実存主義とは

ここまでの文章で、

人間は身体を持って世界の中に存在している

「人間は世界の中に巻き込まれて生きている存在

と書いた部分が実存主義です。

具体例では、

・緊張すると声が出ない
・好きな場所は身体が覚えている
・自転車に乗るとき、いちいち考えていない

といったことを扱いました。


現象学とは?

現象学の特徴は

「世界がどう現れているか」
を考えることです。

つまり

世界を説明する前に
まず人間にどう経験されているかを見る

という考え方です。


このブログで具体例として、

・音楽
・スポーツ
・味覚

のところでお話ししたことです。

人間は身体を通して世界を認識する

世界を

  • 客観的な物体としてではなく
  • 経験として現れるもの

として見ます。



まとめ

実存主義や現象学といわれると、

難しく聞こえるかもしれませんが、

大事なことは、

近代では

「理性的な人間」
「理性こそ人間らしさ」

だと考えらていたことが、

人間は頭だけで世界を理解しているのではなく、

身体を通して世界の中で生きている存在
人間は身体を通して世界を認識する存在

だと考えられるようになったと抑えていただければ大丈夫です。






私が、

数学や算数の教育で、

”点描写”や”数える”といった

身体性というワードを使うのは、

年長さんから算数│赤穂市│個別指導塾Willbe

ここまでの背景を何度も読んでいるからかもしれませんね。


あるいは、AIの時代に↓こういった↓議論が沸き起こるのも当然といえば当然です。ご興味あれば笑

森の幼稚園で言われていることは、

現代社会は、人間を自然や身体から切り離しすぎている。
その結果、人間として生きる力が弱くなっている。

だからこそ、

子どもを自然の中で育てる「森のようちえん」が重要だ

という話です。



勉強と理性(冗談ですよ)

あれ。

理性??

経験??

身体??

理性的に暗記するということは可能なのか?

理性が身体をコントロールする?

違うよね?

身体が経験したことを理性で分類してるんだよね?

と。


いうことは??



理科と社会は、

資料集みろ
地図帳みろ
資料集みろ

。。。。


言葉は常に恣意性があるのです。

え?


次回予告:⑤エゴイズム論 ― 利他と利己、その境界線

今回は、私たちの「身体」が、世界を理解するうえで欠かせない存在であることを見てきました。

「私」は「考える私」だけでなく、「感じる私」「動く私」でもあった。

しかし、その「私」が他人と関わるとき、新しい問題が生まれます。

「自分のために」生きるべきか、それとも「他人のために」生きるべきか?

利己心(エゴイズム)と利他心の対立――次回はこの問題を扱います。

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