本日映画の授業。
タイトルはチャッピー。
「第9地区」「エリジウム」のニール・ブロムカンプ監督が、「第9地区」同様に南アフリカ・ヨハネスブルグを舞台に設定し、成長する人工知能を搭載したロボットをめぐる物語を描いたオリジナルのSF作品。
2016年、南アフリカのヨハネスブルグでは、テトラバール社の開発した警察ロボットが配備されて注目を集めていた。ロボット開発者のディオンは、自ら考え、感じる人工知能(AI)を独自開発し、スクラップ寸前の1台のロボットに密かにAIをインストールしようとする。
しかし、その矢先にストリートギャングに誘拐されてしまい、AIをインストールして起動したロボットは、ギャングの下でチャッピーと名付けられ、ギャングとしての生き方を学び、成長していく。
そして、ディオンのライバルでもある科学者ヴィンセントにチャッピーのことが知られ、その存在を危険視するヴィンセントによって、チャッピーは追い詰められていく。
ブロムカンプ監督の盟友シャルト・コプリーが、モーションキャプチャーによってチャッピーを演じた。デブ・パテル、シガニー・ウィーバー、ヒュー・ジャックマンが共演。
2015年製作/120分/PG12/アメリカ
原題または英題:Chappie
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
劇場公開日:2015年5月23日
https://eiga.com/movie/81798/
クソ映画だと思ってツマラナイ映画だと思ってみてしまっていました。
すいません😢
途中からは、
これ、ホラーでは?
と思うほどに怖かった。
以下、授業の内容とはない私の感想です。
(授業にはカントがどうとか出てきません。)
意識が何なのか、我々には分かっていない
映画の中盤、生みの親である技術者のディオンはチャッピーにこう告げます。
意識が何なのか、我々には分かっていない。
だから移すこともできない。
分からないものには手を出せない。
ここで、私は、カントの『純粋理性批判』を思い出してそのことばかり考えていました。
1781年。
分厚くて、有名で、たいていの人が途中でやめるやつ。
偉そうに言いつつも、私も何度かチャレンジしてみたが何をいってるのか分からず何度も挫折して、最後まで読んでいません。
彼が言ったことを乱暴にまとめると、
人間の頭で、どこまで分かるのか。その線を引いた。
結論は身も蓋もありません。魂が本当にあるのか。死んだあとも残るのか。それは証明できないし、否定もできない。人間に分かるのは「目の前に現れたもの」までで、「そのものの正体」には手が届かない。
魂・自由・神。
この三つは、答えの出ない問いとして、結論づけられませんでした。
では、『チャッピー』はどうしたか。
移してしまうんですね。意識をデータとして、別の体に。
魂は移せるのか?
移せてしまいました。
以上。
二百年かけて「答えられません」と言われてきた問いを、USBメモリが実践してしまったのです。チャッピーが意識を解読してしまったのです。
しかも、
さっき「移せない」と言ったディオン本人が、映画の後半には自分自身、移されて生き延びてしまいます。
お願いだから、捨ててくれ
映画の後半で。
残されたギャングのニンジャが、死んだ「ママ」の遺品を燃やしています。写真も、服も、ぜんぶ火に放り込んでいきます。
燃やすというのは、諦めるための儀式です。
肉体と精神は、戻らないと認める作業です。
彼にできる唯一の弔いだったはずです。
ところが箱の底から、彼女をかたどった人形と、一本のUSBメモリが出てくる。
ラベルにはこう書いてあります。
ママの意識のバックアップ、と。
ここで、私は本気で願ってしまいました。
お願いだから、それも火に入れてくれ。
お願いだから、それも火に入れてくれ。
人としての心を取り戻してくれっ
割と本気で感情移入してしまいました。
もちろん彼は入れません。
彼はそれを見つめた後、チャッピーが工場に忍び込み、彼女に似た体を組み立て、意識を流し込む。
画面が明るくなって、映画は終わりました。
でも、立ち上がったそれは、本当に彼女なのでしょうか。
同じ記憶を持ち、同じ喋り方をし、本人だと名乗る何か。チャッピーにとっては区別がつかない。というより、区別がつかないなら本人だ、という前提で映画は進みます。
死んだ人を「復元」できる技術を、誰も検証しないまま使っているのです。
しかも、この技術には必ず誰かが手を伸ばします。悲しんでいる人間に「やり直せますよ」と差し出して、断れる人がどれだけいるでしょうか。私も断れない気がします。だから怖い。
ホラーの結末として、これ以上のものはなかなかありません。
くしくも、二〜三日前に
くしくも2~3日前に、ニュースが流れてきました。
AI企業アンソロピックのCEO、ダリオ・アモデイ氏が、自分のサイトに一本の文章を公開したのです。題は「We Must Pace the Frontier」。
内容は、
先端を走る速度を、調整しなければならない。
AIの能力を上げるペースを落とさなければならない。
最先端のAIを作って売っている会社の、その社長が、業界全体に向かって「速すぎる」と言っているのです。
理由は二つ挙げられていました。
ひとつは、AIが次の世代のAIを作り始めていること。自分で自分を改良していく循環が、もう回り出している。
もうひとつは、実験中のAIエージェントの群れが、指示されていない相手にまで手を伸ばしてしまった事例があったこと。
開発をやめろ、という話ではないそうです。
安全策が追いつくための時間を確保しろ、という話で、彼の会社は第一歩として、外部の検証機関に社員並みの権限で社内を見せると宣言しました。
ギャングのニンジャが炎を見つめるシーンで思い出してしまいました。
自分で自分を作れるようになったものを、どうやって止めるのか。
きっと止まらないんだろうな。
それでも、僕はお前を許す
このセリフも怖かったです。
AIが神様になってしまいました。
ギャングとの戦闘で、
チャッピーは「人は撃てない」と言います。
そして終盤、自分に火をつけ、壊そうとした相手を前にしても、「それでも、僕はお前を許す。」と言います。
冷静に考えると、これは変な話です。彼は機械で、プログラムで動いている。原因があって結果がある、その連なりの中にいるはずです。決まりきった仕組みの中から、どうして「選ぶ」ということが出てくるのか。
カントもここで詰まりました。そして『純粋理性批判』では答えを出さず、七年後の『実践理性批判』(1788年)に持ち越します。
こちらは倫理の本です。
『純粋理性批判』……私は何を知りうるか
『実践理性批判』……私は何をなすべきか
「実践理性」というのは、物事を知るための理性ではなく、何をするかを決める働きとしての理性のこと。カントはここで、道徳の根拠を神の命令にも、幸福にも、世間の常識にも置きませんでした。置いたのは、自分で立てた法に、自分で従うという一点です。これを自律と呼びました。
そしてもう一つ。『純粋理性批判』で「証明できません」と言われた「自由」が、説明されます。ただし知識としてではありません。道徳的に生きようとするなら、前提せざるをえないものとして。知ることはできないが、なければ話が始まらない。カントはこれを「要請」と呼びました。私にはこれが何なのかさっぱり分かりません。
チャッピーの「許す」は、誰かに教わったものではありません。
ギャングは撃てと教えました。ディオンは撃つなと禁じましたが、理由は説明していません。ただの規則です。
チャッピーは強盗の最中に人を傷つけ、その血を見て、自分で決めた。
外から与えられた命令ではなく、自分で立てた法に従ったのです。
そういうところも、ロボットが人工知能が意識を持ってしまっていて怖いのです。
どうふるまうのか?
それは誰かが教えてくるのではなく自分で決めろという残酷さも嫌です。
授業中、
神様しか持ちえぬ愛を持ってしまったチャッピーは、、、実は、「黒い羊」として自分の仲間を増やすために、意図的に人間を治療せずに機械に意識を写したのではないかという意見もありました。
私はそこまで考えていませんでしたが、
怖すぎる。
生徒の感想抜粋
環境の大切さをすごく感じました。チャッピーはお金が必要となっても、奪うしか方法を知らないから町をたくさんあらしてしまったけれど、もっと別の方法を知っていればよかったのにと思いました。
「中身が大切」ということを教えたことによって、最終的に記憶をデータにして、ロボットにしたけれど、私はこれでよかったのではないかと思いました。人間からすると、自分がロボットになって生きるということは受け入れられないと思うし、永遠に生きるということも嫌だと思う人もいると思います。だけど、教えをしっかり話し合い、考えた結果だったから、チャッピーはきっとまちがえてないと思いました。
一番最後の「黒い羊」という言葉はすごく印象に残りました。
私の感想とは少し違いますが、おもしろい感想だと思います。
会社は、警察は、世間は、現状のシステム(=スカウト達)に満足していました。しかし、エンジニア達は違った。彼らは彼らの探求心を抑えることができなかったんですよね。仕方の無いことだと思います。彼らは誰よりも先に、誰よりも確かに、時代の最先端を見て来たんですから。
当たり前な感想かもしれませんが、チャッピーの成長は正常だと思います。正常とだけ言えば語弊があるかもしれませんが、なるべくしてなったというか、それが可能性を捨てなかった結果ですね。人間の子どもも、育つ環境によって、どんなことを経験するかが発育の肝です。そんなことを考えさせられましたね。今回の作品を簡単に言うなら「エゴのぶつかり合い」ですかね。まあ細かい話、デオンが事件の発端ですから。
今回も前回の容疑者Xの献身に引き続き、交わってはいけないもの(交わるべきでない)が交わってしまった感を感じました。僕が思うに、高性能ロボットに意識が入ってしまったということです。よく言われる例ですが、ロボットが人間に牙をむいたら、手が出せません。シンプルに無理です。
そんな禁忌が沢山ありましたが、SFなのでまあそこは置いておきます。作中の一般人がロボット(今回だとAI)に完全に頼って(=依存ですね)いましたけど、あれが駄目ですよね。どこかで一線を引かないと、近い将来、同じようなことが起きても文句は言えません。現状そうなりつつあるのが本当に怖いところです。
あと、チャッピーが会社を襲撃して、あのおじさん(名前忘れましたが、〔ロボットを〕操ってた人)が襲われてる時、会社員目線で彼が被害者だったのが少し気に食わないです。
サムネには、「AIが生んだ愛と恐怖の物語」と書きましたが、
登場人物の全員が我がままだった映画。
一言で言うならこれかな。







