3/4 はてなブログ 受験の心構え
子どもにとって受験が
「大人になるための儀礼」だとすれば、
親にとっては何か。
それは、
“手を離す儀礼” です。
小さいころは、
転びそうになれば手を引けた。
宿題を忘れれば一緒に焦れた。
体調が悪ければ抱きしめられた。
でも受験は、
親が代わりに受けることはできない。
勉強も、答案も、合否も、
最後は子ども一人で向き合う。
親は横にいることはできるけれど、
前には立てない。
これがしんどい。
親から見る受験は、
「子どもが評価される日」でもあり、
同時に、
「自分の手の届かない場所へ行く日」でもある。
だから、苦しい。
だから、祈る。
だから、結果に揺れる。
でも本当は、
親の役割は、
合格させることではない。
どんな結果でも、
「あなたはあなたでいい」
と揺れずに立っていること。
それが、
親側の通過儀礼なのだと思います。
子どもは、
社会の評価と出会う。
親は、
“守れない瞬間”と出会う。
どちらも少し、大人になる。
受験は、その儀式みたいなもの。
小さいころの通過儀礼は、
(初めての〇〇)
子を愛おしく思い、
子を守ってあげる、
と思っていたのに、
年齢が変るとイベントの意味が変っていきますね😢
あ~
いよいよ別れの季節。
強く前を向いて
生きていってね♪
3/3 はてなブログ 受験直前の心構え
ドキドキします。
1日何回か頭をちらつきます。
平静を装えと言われてもそれは無理かもしれません。
何かに集中している時はわすれます。
ふとした時に頭にちらつきます。
落ち着きません。
でも、
こういう状態になるのは、
だいたい本気のときです。
どうでもいいことなら、
頭はこんなに何度も思い出させません。
若い頃は、
「平常心でいなければならない」
「強くなければならない」
そう思いがちです。
でも、
少し長く生きてみると分かります。
本当に大事な場面で、
平静でいられる人なんて、
ほとんどいません。
あれ?
私ってこんなに気になる人だったんだ・・・
心が揺れるのが普通です。
何度も考えてしまうのも普通です。
頭をよぎるということは、
それだけ自分の人生に関係しているということです。
他人の私ですらそうなのだから。
大人になると、
不安を消す方法を探さなくなります。
代わりに、
不安を抱えたまま、
淡々とやることをやります。
ドキドキしていても、
朝は来るし、
時間は進みます。
ならば、
震えている手のまま、
一問解く。
ざわついた心のまま、
机に向かう。
くだらない日常に感謝の念すら覚えます。
くだらない日常は、良いことを忘れさせてくれますが、
嫌なこと忘れたいことをキチンと忘れさせてくれます。
完璧に落ち着いてから動くのではなく、
心を揺らせながら、手と口は動かす。
それで十分です。
3/19 はてなブログ 受験生の母、お疲れさまでした。
本日をもちまして、
赤穂市の進学個別指導塾Willbeにおける
2025年度の受験が終了しました。
いま丁度、
合格発表が終わった頃でしょうか。
今回は、
キチンとシステムが動くのでしょうか。
元受験生たちの授業はまだ続きますが、
ひとまず一区切りです。
受験生の皆様、
そして保護者の皆様
本当にお疲れさまでした。
受験という大きな目標に向かって走り続けたこの一年は、皆さんにとって人生の中でも特別な意味を持つ経験だったのではないかと思います。
いや、私は特別な意味を持つものにしてほしいと願っています。
合格すれば、これまでの努力が報われたと感じるでしょう。
逆に不合格であれば、
すべてが無駄になったかのように感じてしまうかもしれません。
しかし、
受験というプロセスそのものが、皆さんを大きく成長させる機会であったことを忘れてはいけません。
努力を重ねる中で、
何度も壁にぶつかり、
自分の弱さと向き合い、
試行錯誤を繰り返してきたはずです。
その経験こそが、
皆さんを以前の自分とは違う存在へと変えていったのだと思います。
とはいえ、
受験は人生そのものではありません。
受験の合否が人生を闇に落とすものであってはならないとも思っています。
海外(特に欧州社会)と比べると、日本の受験制度は人生を決定づけるものではなく、あくまで通過点の一つにすぎません。
しかし、塾や学校、家庭の中では、この点があまり強調されることはありません。
だからこそ、受験に全力で挑む一方で、
「受験がすべてではない」
という視点をどこかに持っておくことが大切だと思います。
この視点を欠いてしまうと、
いつの間にか受験そのものが目的化し、
その「闇」にはまり込んでしまうこともあります。
ここで言う「闇」とは、
強烈な自己否定と、数字にすべてを支配されてしまうことです。
そういう意味では、
私はすべての塾生に合格してほしいと心から願っています。
合格させられなければ塾の存在価値がない、
と自分自身が思っているのも事実です。
一方で、
高い目標を掲げた結果、
不合格となり、
強烈な自己否定に受験生が陥ってしまうのではないか
という恐怖も同時に感じています。
だからこそ保護者の皆様には、
受験と向き合いつつも、
「受験がすべてではない」
という余白を心のどこかに持っていただければと思います。
特に中学生の保護者の皆様には、
その点を意識していただければ幸いです。
はっきり申し上げて、
昨今の公立高校入試における競争は、昔ほど激しくはありません。
大学受験に至っては、さらに競争が緩やかになっている部分もあるでしょう。
だからこそ私は、
皆さんに真剣に受験と向き合ってほしいと考えています。
真剣に向き合わなくても進学できる時代だからこそ、
あえて真剣に向き合うことに意味があるのです。
ここで言う「真剣に受験をする」というのは、
「良い高校」「良い大学」を目指すことではありません。
それは、
自分自身と向き合うほどの勉強をしてほしい
ということです。
誰しも、自分と真剣に向き合うことは辛いものです。
しかし、大人になればなるほど、自分と向き合う機会は減っていきます。
もしかすると、自分と向き合う経験は、
10代だからこそできる貴重な時間なのかもしれません。
受験と向き合うことで、
人は多くの葛藤や弱さ、
無力さに直面し、
自分自身との厳しい対話を経験します。
その過程の中で、知らないうちに自分が変わり、
もう二度と元の自分には戻れないことに気づく。
その変化こそが、
その人の人生に新しい景色を描いていくのだと思います。
それ以外に、受験の価値はありません。
受験や勉強でなくても構いません。
私は塾の先生だから、
勉強の話をしているだけです。
受験は険しい山であってほしい。
しかし、ただ高い目標を掲げて
「必ず実現しなさい」
と言いたいわけでもありません。
さきほど、生徒進学先を更新いたしました。








