個別指導塾Willbe 小学生音読見本をゆるゆると作成中。
保護者の皆様にも文章を楽しんで頂ければと思い、俳句や和歌の和訳や背景もゆるゆる更新中。
今回は松尾芭蕉。
↓こちらの小林一茶と比較してみて、作風がなんとも違います笑。 小林一茶と違って、松尾芭蕉の俳句はただの観光スポット巡りな気が致します。「奥のほそみち」だから当たり前と言えば当たり前ですが、笑えるほど観光スポット。松尾芭蕉の俳句を楽しみながら観光地を訪れる。そんな家族旅行はいかがでしょう??
古池や蛙飛こむ水の音
訳
「芭蕉全句集」角川文庫
静かに水をたたえた(水が溜まっている)古池に、蛙の飛び込む水音がする。
季節;春
季語;蛙
冬眠から醒めた蛙は2月頃から姿を見せ、雄は雌を求めて盛んに鳴く。 古今集では「蛙の声をきけば、・・・いつかは歌をよみざるをえない」といった記述があるほど、歌を歌うに代表的な生き物。
山路来て何やらゆかしすみれ草
意訳
「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫
山道をあるいていて、ふと目にした「すみれ草」に、なんということもなく心が惹かれる。
「ゆかし」;好奇心や親和感が喚起されたことを示す形容詞
季節;春
季語;すみれ;山野に自生し、濃い紫色の可憐な花を咲かせる。
辛崎の松は花より朧にて
訳
辛崎(地名)の松は、背後の桜の花よりもさらに朧(おぼろ)にかすんで趣(おもむき)深い
季節;春
辛崎;琵琶湖の南西部にある1つ松が有名
季語;朧、花
空中に浮遊する微細な水滴のため、遠方が見渡せない現象。一般に、春のものを「霞」、秋のものを「霧」
唐﨑の一本松の画像についてはこちらを↓↓
何の木とはしらず匂哉
訳
何という木の花とも知られないまま、神域には良い匂いが漂っている。
季節;春
西行の「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる」という歌をふまえて、言い表しがたい神々しさを花の匂いによって象徴させた俳句。
季語;花
開花するものの総称である一方、平安後期以後は「桜の花」をさしている。
「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫
残念ながら私には「神々しさ」を感じ取ることが出来ませんでした。4月、ぽかぽかした日に何気なく桃かなにかの匂いを感じた情景しか思い浮かびませんでした。西行の歌を踏まえた、、、ということを知らねば神々しさはでてきませんね笑 花の匂いで「神々しさ」を感じる。。。。 どこにいけば良いのだろう。。。御崎かな笑?
花の雲鐘は上野か浅草か
訳
雲のようにも見える一面の花盛りに、聞こえてくる鐘の音は、上野の寛永寺ものか、浅草の浅草寺のものか。「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫
季節;春
花の雲・・・咲き連ねる花を雲に見立てる表現
深川(地名)にある芭蕉庵にいながら感じる花見気分を五感を使って表現。
季語;花
浅草寺
https://www.senso-ji.jp/
寛永寺
http://kaneiji.jp/
若葉して御めの雫ぬぐはばや
訳
「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫
若葉を使って目もとの雫をぬぐってさしあげたい。
御目の雫・・・目のあたりのしめり。苦難の末に日本に来た鑑真が、潮風で盲目になったことを踏まえて、鑑真の像が涙を浮かべているように見えるといった意味。
芭蕉が、奈良の唐招提寺にある鑑真の像を拝したときに感じたことを歌っている。
季節;夏
季語;若葉 初夏に木々が新緑の葉を茂らせることで、そのみずみずしさを賞して用いる。
唐招提寺と鑑真の像↓
五月雨をあつめて早し最上川
訳
「芭蕉全句集」 角川ソフィア文庫
降り続く五月雨を1つに集め、最上川がすさまじい速さでながれていく。
季節;夏
季語;五月雨(梅雨)
降り続く5月の長雨。梅のなる頃なので(だったので)梅雨とも言う。和歌では「サミダレ」として用い、俳諧では「サツキアメ」の読み方が加わる。
最上川・・・山形県を流れる河川。日本3大急流として有名。
夏草や兵共がゆめの跡
夏草の生い茂るこの地は、兵士達が功名を夢見て戦った跡。私(芭蕉)も夢にその面影を感じて涙するばかりだ。
兵共が夢・・・奥州平泉の藤原3代の栄華をさしているのか、源義経に限定しているのかは諸説あり。
季節;夏
季語;夏草
夏に生い茂る草は、繁く深いイメージや日に萎えるイメージで読まれることが多い。
「炎立つ」(講談社文庫、高橋克彦)を読んで以来の東北ファンである塾長です。雪が降る中1人で多賀城跡を訪れ1時間「炎立つ」を想起していた想いであり。
その時の状況は、、、もはや、芭蕉と同じ気分。実質「芭蕉」です。
ちなみに、多賀城跡は、だたっぴろい野原に「○○跡」といった記念碑がたてられているだけの、、、。
「炎立つ」源平の武士たちの台頭を前に東北の地に黄金の楽土を築こうとした藤原氏の夢がこの夜大きな炎となって燃えあがる!
閑さや岩にしみ入蝉の声
訳
何という清閑(せいかん)なのだろうか。蟬の声が岩の中にしみ透っていく。
山形の立石寺にて読んだと言われている。
季節;夏
季語;蟬(せみ)
おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉
訳
鵜舟の漁はおもしろくても、やがてそれが終わると悲しくなります。
季節;夏
季語;鵜飼い
なぜ、、、鵜飼いの漁が終わった後に悲しくなるのだろうか。
漁の見物が終わって寂しい。遊園地からの帰り道はなんとなく寂しい気持ちになる。そんな気持ちも込められているようですが、芭蕉は、「生のあわれ」や「殺生を繰返す人間の業」までを「かなしい」と表現したのだそうです。
この句を詠むのに前提となった謡曲(能の脚本部分、声楽部分)「鵜飼」があるそうで、その謡曲の解釈までは私には分かりません笑。
「能」の演目としての「鵜飼」はこちら↓
名月や池をめぐりて夜もすがら
俳句
「芭蕉全句集」(角川ソフィア文庫)
名月が映る池の周囲をまわりながら、夜通し(一晩中)すごすことだ
季節;秋
季語;名月
8月15日の中秋の満月を「名月」と称しており、「今宵の月」といった言葉も同じ意味を指す。
荒海や佐渡によこたふ天河
荒海が立つ日本海の遥かかなた、佐渡島にかけて天の川が大きくよこたわっている。
「芭蕉全句集」(角川ソフィア)
季節;秋
季語;天の川
こちらの句も様々な解釈があるようです。芭蕉が残した作品の中に、佐渡島のイメージを「黄金・流刑の地」として特徴付け、芭蕉の旅愁を吐露している文章があるようです。
そこを前提にすれば天の川がきれいだという解釈なのかもしれないが、芭蕉の旅愁から離れてみれば、本州と佐渡島が荒海で隔てられいることを背景に、七夕の恋のイメージ(つまり、年に1回逢瀬がかなう喜び)が際立つようになるそうな。
なるほど。どちらで楽しんでも楽しそうです。
菊の香やならには古き仏達
訳
古き仏がいらっしゃる奈良の都には、重陽の節句といっても菊の香りが漂っている。
季節; 秋
季語; 菊
特別な日を特別な地で迎えることができる幸運を具体的には説明せずに、ただ2つの物をならべるだけで、古風で雅な情景を想起させる。
重陽の節句・・・旧暦の9/9のこと。日本において伝統的な祝日で、日本では菊の咲く季節であることから「菊の節句」とも呼ばれている。
春日大社「重陽の節句」
野晒を心に風のしむ身哉
訳
芭蕉 全句集(角川ソフィア文庫)
野たれ死んで白骨になることも覚悟して旅立とうとするものの、折からの秋風が心にもしみる我が身であることだ。
季節;秋
季語;身にしむ
秋風を通して「あはれ」を深く感じるのは。
この句の前後に芭蕉が書いていることを鑑みれば、芭蕉が「旅の不安と覚悟」を詠んだだけでは無く、「仏教の思想」「無為自然を基本とした荘子の思想」に対する憧れを詠んでいるとも解釈できる(らしい)
想像していたよりも様々な「想い」が込められているようです。
まさか、、、老荘思想が登場するとは。。。。
この句を理解するためには「荘子の思想」に触れると良いかも知れません。老荘思想については、弊塾「Willbe図書館」にも置いているこちらが分かりやすいと思われます。
比道や行人なしに秋の暮
訳
秋も末の夕暮れ、行く人のいない道に独りたたずんでいる。
季節;秋
季語;
情緒的な句であることは間違いない。
ただ、「此道」という言葉によって芭蕉が「人間が存在することの根源的な孤独感」を表現している。
とも、見えるらしい。
「此道」がどの道なのかは、さておいて、決断し実行することの孤独感。
塾講師としては、受験生たちの姿を重ね合わせてしまう一句。
鷹一つ見付けてうれしいらご崎
鷹の名所として知られる「伊良湖崎(愛知県)」で、一羽の鷹を見つけた嬉しさよ
季節; 冬
季語; 鷹
伊良湖崎は、、、今も「鷹」を見れる場所なのでしょうか??確かに、↓こんな場所で「鷹」を見つけることが出来れば感動的でしょうね。
【余談】
【塾長の余談】
大自然の中で生きる生物を見れば誰でも美しいと感じることだろう。ところが、「世界遺産に登録されるような絶景」=「美しい」と子ども達に感じさせ過ぎるのもいかがなものかと思う今日この頃です。
つまり、
絶景=自然
だとするならば、
日常の中に「自然」を感じる感覚を失いバランスが悪くなるのかなと思うのです。「与えられる感動・人為的な自然」にしか感動できないのではないかと。
その意味で、、、小林一茶的な感覚も捨てたくないと思いました。
海くれて鴨のこえほのかに白し
訳
海が暮れて闇に包まれようとする中、耳に届く鴨の声がほのかに白く感じられる。
季節;冬
季語;鴨
・鴨の声を「白く」といったように視覚的に表すのは、認知心理学における「共感覚(文字に色を感じる、音楽に色を感じる)」に相当するようです。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
訳
旅の途中で病気になり、見る夢といえば、自分が枯野を駆け巡るばかりだ。
季節;冬
季語;枯野
枯野;冬の寒気や霜のために草が枯れること。冬を実感させ、哀れを催させる。
これ以降にも作品改訂などの活動を行うものの「純粋な創作」としては、生涯最後の作品。
人生最後の作品だとすると、旅を住処として生涯俳句一筋に過ごした人生を飾る俳句として含蓄深いものがありますね。
旅人と我名よばれん初しぐれ
訳
初時雨の中を出立する私は、これから旅人と呼んでもらおう。
季節;冬
季語;初時雨
初時雨;その冬の最初の時雨(1時的に降ったり止んだりする雨)賞美の心を強く込めて詠む!
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店
よくみれば薺花さく垣ねかな
訳
よく見ると、垣根のあたりに薺が花を咲かせていることだ。
季節;春
季語;薺の花
薺の花;ぺんぺん草
見過ごされがちな雑草の花を取り上げた点が興味深い(らしい)。松尾芭蕉の俳句には、天工(自然がおりなす工作物)の妙を感得するところに、肝心な部分がある。
垣根を何気なく歩いていると、薺が咲いている。
人工的なものの中にも天工の妙がある。そんな美しさを感じる。
そんなとこだろうか。。。
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1番大事な教科だと多くの人が納得するにもかかわらず、小学生にも中学生にも高校生にも後回しにされ続ける国語。
だからこそ、
音読に取り組んで参りましょう。
高校古文・漢文の素養は小学生のうちから身につけるべし。
です。