ふと他塾の先生方と話していた時に、幼児教育の話になりました。
子ども達が一番おおく発する言葉は「見てみて~~」「見ててね」「いいこと考えた」「閃いた」が一番多い。
ここに何か本質のようなものがあるような気がする。
そのような話でした。
ここに親という字は「木の上に立って(子を)見る」と書きます。
理想を言うのであれば、子どもを見ている間に子どもがやってることを言葉にしてあげる。
「それは足だね~」
「それは手だね~」
「それは救急車だね~」
元来、語彙力であったり量感であったり、図形というものはそのようにして身に着けたいものです。
「勉強」なるものは、往々にして↑の逆を行います。
言葉があって具体的なものを説明する。
そしてその言葉を覚える。
しかし、
子どもたちには具体的イメージがないから、正確にいえば、教える際に具体を1つしか提示できないから、同じものなのに言葉では同じものだと認識できなくなる。
言葉から三角形を認識させようとすると、、、
全部三角形なのに。。。
全部三角形なのに。。。
三角形ってわかってくれない苛立ち。
高学年になり勉強が分からないというのはそういう状態なのだと思います。
似たようなものを分類して切り取ったものが言葉であります。
具体の数があればあるほど言葉を理解することが出来ます。
おそらく。
私たち大人が子どもたちの「見て~~」「聞いて~~」「閃いた」に反応しなくなったら、子どもたちは言わなくなる。
言葉が先で、具体が後になる前に、
見て
言葉にしてあげる。
そのチャンスを失わせてるのは大人。
大事なんだなと改めて思った今日であります。
言葉ではわかっても忙しさの中で忘れてしまう。
さて、
明日からも今日からも心の準備をして授業に臨みましょう。
具体を算数に結び付けてあげる。
それがWillbeの小学低学年!!
ドリルは必要だけど、大事なことはドリルじゃない。