「理解するんだ」
「なぜ そうなるかを考えるんだ」
綺麗な言葉です。
「え〜から覚えろ」
確かに「教育者として」言いたくない一言です。
「教える立場」あるいは「勉強する立場」としてどちらのスタンスが正しいのでしょうか?
おそらく「え〜から覚えろ」に嫌気がさして勉強が嫌いになった人も多いのではないでしょうか?
「学校で教えない○○」といった勉強系YouTubeが流行る理由は、そこにあり「こういう教え方をしてくれたら理解できたのに」と言ったコメントが多く書かれています。まさに大人の学び直し最大の醍醐味であります。
そう考えていると「何故を考えることが大事」は、やはり、かなり正しそうに見えてきます。
でも。
結論は、どちらも正しい。
です。
今持っている知識では絶対に理解できないことがある
ちょうど火曜日に中1〜中2に対して↓↓の話をしていました。
「え〜から覚えろ」と「なぜを考えるんだ」はどうしても矛盾しちゃうんですよね。
例えば、
理解出来ること 三角形の面積を求める
底辺✖️高さ➗2
これは、「何故を考えるんだ?」が通用します。
面積という概念と正方形/長方形の面積を求める方法を理解していれば、多くの人が理解できます。
何故なら、正方形や長方形を半分にしたら三角形になるよね〜、で説明可能だからです。
厳密にいうと、等積変形、台形、平行四辺形の理解も必要ですが、単純な理解としては可能です。
無理なこと 円の面積
半径✖️半径✖️3.14
これは高校生が習う「積分」を理解しないと、円の面積を求める公式を説明することが困難です。
積分という言葉を出さなくても、違う角度から途中までは小学生でも理解は出来ます。
①円を扇形に分けていく
②扇形を長方形っぽく並べていく
③平行四辺形になる。
④ ③の平行四辺形の高さは、半径と同じ長さになる。
この辺までは大丈夫。
いやこの辺でも無理な子には無理なのかもしれない。
次からは確実に無理。
⑤横の長さは、円周の半分の長さになる。
⑥円周の長さは、直径✖️3.14
ここは多分「実際に測ったらそうだった」という話。
というか、面倒だからもはや誤魔化したいです笑 「実際に測ったらそうなるんだよね〜」という「興味関心の授業」はあっても良いかな〜という程度。
さらに?
3.14って何??
これも多分「実際に測って計算してみた結果わかった比率」ぐらいならいけるかも。
半径が2、面積が12.56の円がありま〜す。
2✖️(1/2✖️4✖️○)=12.56
◯=3.14
ね!! 3.14 でしょ??
え?
計算自体は方程式というほどのこともなく、小学校で習う考え方ですから理解はできるでしょう。
だがしかし、
だがしかし、
先に面積がわかってる状態?
は?
それどうやって求めた数字なん?
は?
それはね〜〜〜〜〜
笑
完全に頭爆発してますよね。
続く。
ですから、、、、
やはり、
これはもう、
え〜から覚えろ!!出来るようになっておけ!!
の領域です。
というわけで「何故を考えるんだ」は必ずどこかで矛盾します。
勉強には「後からそういうことだったんだ〜」と思えれば良いことはたくさんあります。
解の公式もそうかもしれません。
少し微妙なラインですが、「解の公式」を使いこなした後に、高校生で「お前、平方完成やんけ」と気がつけば良いと思います。
凡人の処理能力の限界
少し微妙なラインだと申し上げたのは、
「解の公式」と「平方完成」については中学でやらなくもないので、「解の公式」は理解出来るかもしれません。
だけれども、
だけれども、
理解にこだわるあまり「解の公式を使いこなす練習」が疎かになるなら意味がありません。
つまり、
「理解する」というのは「できることが多いから理解できる」のです。「出来ることが少ない人」は「理解できる知識を持たない」ため「理解出来ない」というのが勉強の本質であろうと思います。
有名私立中学の授業を見て「素晴らしいもの」だと思えるのは間違いはないのですが、
とはいえ、
彼らに比べて出来る様になってることが少ない我々は彼らのような授業を当時受けても面白くはないのです。
ある意味で、彼らは「後から考えてそういうことだったんだ〜」に等しい状態であると言えるのです。
僕らが理解しろといってるのは?
↑これは相似の勉強です。
私たちが「覚えろ」「理解しろ」と言っているのは、数学においては「解法の流れ」「基本パターン」のことであり「概念を完全に言語化する」と言ったことまでは求めていません。
答えの丸暗記ではありません。
「パイアールの二ジョー」と言えて「アールが半径です」まで覚えて下さいということです。
「円の半径ってどれ??」と言われて答えれて下さい。ということです。
私が「具体」が先で「概念が後」と小学低学年に対して言っているのは、具体的な操作の話です。
具体物と言葉を一致させることが出来なければ「概念」が理解出来るはずがないという意味です。
あるいは「言葉によって概念を説明される前に」「概念を感覚として持っているべきだ」という意味です。
図形パズルを使って「合同」「相似」「錯角」「平行」と言った概念を教えていますが「言葉」は使いません。「相似の定義」も教えていません。
でも「相似って大体こういうこと」だと「イメージして頭に強烈に残しておく」ことは重要なのだと思っています。
そして具体的イメージを持てない子に対しては「えーから覚えろ」と言うしかありません。まずは出来るようになれ、そしたら分かることが増えるのです。
小学校高学年、中学3年生で「相似」を勉強したときに
「あ〜〜〜〜あ〜ゆ〜のか〜〜〜」
「あれね あれ」
「確かに確かに、そうなってたわ〜〜〜」
と言った感じです。
重要なのは「あ〜〜〜あれね」と言った感覚なのです。
「みはじ?を使わない方が良いですか?」どっちでも良い。
確かに、
「割り算」と「1あたり」を理解していれば「みはじ」なんてものは必要がないわけで、
「みはじ」を教えることで「割り算」とか「単位あたり」と言ったものの理解を妨げると主張も納得できます。
だがしかし、
「割り算には2つの意味があります」と言われてピンとこないのであれば、もはや「みはじ」で良いのだと思います。
どこかで繋がります。
むしろ、繋がるまで勉強しないから、結局、分からないのです。
そういった勉強の矛盾を解決するのが大学??
理系のことはわかりません。
でも、え〜から覚えろと片付けられていることに納得できないことを思う存分考えまくれるのが大学です。
少なくとも文系の多くの学問はそのようになっています。
興味関心がなければ、苦手というほど出来なくもないが1番イラついた科目に関する学部学科を選ぶという発想もあり得るでしょう笑
そんなわけで、受験生の皆様
「深く考える」はほどほどにッ!
「緊急でも重要でない」ことにこだわり過ぎるあまり「緊急で重要なこと」が達成できない逆説もあり得るのです。