来週より教室が増えるため、
火災保険やら塾保険やら保険の契約を行っておりました。
開塾以来ず~~っと「みなと保険企画」さんにお世話になっています。
みなと保険さんは、いつも、いろいろ塾のことや高校受験や大学受験のことに聞いてくださるので、(営業トークだと知りながらも😭)調子に乗ってペラペラと話してしまいます。
笑
申し訳ありません。
本日は、そのテンションをお借りいたしまして、日頃中学生達に伝えていることを改めて、まとめて参りたいと思います。
勉強はできた方が良い。
しかし、誰しもが東京大学や医学部を目指しているわけでもないなか、勉強の目標設定というのは難しいものです。
普通科に行きたい子たちに言いたい
Willbe生には、
・「偏差値が10上がれば人生が変わる」
・「誰しもが偏差値70を超えれるわけではないけれど」「偏差値10上げるのは努力の範疇」
・「そもそも赤穂高校だろうが、姫路西高校だろうが中学の基礎が身についている状態というのは、高校受験偏差値60~65を意味してるんだよ」「なぜなら大学受験偏差値=高校受験偏差値-(10~15)」だからね。
といった話をよく致します。
だから、どの高校へ行くよりどの大学へ行くのかの方が重要で、そのためには高校基礎内容についていけるように、出来うる限り中学の勉強偏差値は上げておいた方が良い。
高校生たちが青チャートといった問題集や、中学の頃は勉強できていた気がするのに突然高校の勉強で分からなくなるのは、こういったことが原因です。
高校受験偏差値55付近の中学生たちは、勉強に対して苦手意識もなく、各中学校で定期テスト10番~20番前後の順位です。
赤穂高校だろうと姫路西だろうと中学基礎が出来ていないならば、結局は高校で苦労することになります。
高校基礎=高校受験偏差値65
大学受験偏差値=高校受験偏差値ー(10~15)
商業/工業/電気/機械/農業を目指す子たちに言いたい。
普通科に進学し大学受験を目指すなら出来うる限り偏差値を伸ばしておいて欲しいが、それは専門科を目指す子たちにも同じことを伝えたい。
普通科を目指さない理由は様々なのかもしれないが、高卒の就職こそ成績順なのです。
高校受験偏差値45。
各中学の平均点あたりの子でしょうか?
その偏差値を55まで伸ばしてみます。
そうすると、進学先の高校で学年1位を目指せる習慣を持った中学生になります。
進学先の高校で1位ということは、東証一部上場企業に就職できるということです。相生産業高校を目指す人たちにとって東証一部上場企業への就職というのは魅力的でしょう。
東証一部上場企業への就職と幸せが関係あるのかどうか知りませんが、ものすごく単純な言い方をすればこういうことです。
各中学校上位10%前後のお子様でも相生産業高校へ進学するので、大雑把な話として留めておいてください。
自分の人生を分かりやすく変えれるのが勉強。
Willbeは、確かに勉強が得意そうな子もやや苦手そうな子もいます。
Willbe生たちの勉強量は赤穂市内随一だと思っています。
でも偏差値10変われば人生が変わる。
なぜ偏差値で語るのか?
塾だから笑
ですから、
勉強が得意な子も苦手な子も、圧倒的学習量。
中学3年生 夏休み毎日8時間? そんなの当たり前です。
中学3年生 部活引退後の土曜日 6~10時間?そんなの当たり前です。
弊塾の中3達には、学力に関係なく、夏休みに毎日8時間程度の勉強をしてもらいます。
姫路西や姫路東を目指す子だけ一生懸命勉強すればよいのか?
そんなことはない。
兵庫県公立高校入試。
公立高校は、内申点勝負。
ですからあまり学力は関係ありません。
でも高校入学後に試されるのは学力。
本当は???
経験をお金で買う時代に入りかけている。
確かに、世の中の全てが学力で語られるのはつまらない気もいたします。
勉強が全てではない。
確かにその通りです。
「勉強=学歴」を人生の頂点にしてしまった大人がいるから、世の中がつまらなく見えてしまいます。
従来の勉強だと思っていたものが全てではないということは、政府や文科省の方々もわかっておられる様で、
だからこそ、
教育改革が連綿と続いてきています。
近年の傾向としては、「大学入試推薦」が流行っていることでしょう。
推薦にも様々な目的や意味がございますが、「やりたいことを本気でやれる人募集」というのが主な趣旨です。
ただ、、、、
赤穂に住んでいて思うのは、、、、
やりたいことってね。
なんでしょうね笑
つまり、
10代の頃の様々な経験が「今の私」を作っているという話は大人の方ならば理解をしていただけると思います。
で、
推薦入試の本質は「やりたいことがあるならば」「やりたい理由」を明確に語り「将来の自分」を描けている必要があるということです。
もちろん、
ぼんやりしていても推薦入試対策を行う過程で、ぼんやりしたものを明確にしていけば良いのですが、
起こりうることは、経験をお金で買わざるを得ない雰囲気になってしまうということ。
つまり、
「貧困問題を解決したい」というやりたいことに対して、
「テレビで見たから」という経験では、
説得力がなさすぎて、
「なぜアナタがその問題に取り組む必要があるのか」
といった問いには答えられないわけです。
「当然、海外へ行こう」
「本当に貧困で苦しんでいる人たちと接したことがあるのか」
といった問いが当然のようにあるわけです。
ならば、、、、
そういった経験はお金で買うしかないのかもしれません。
あるいは、
「そう思ってしまう人が多いため、そういう方向性になるのだろう。」と言った方が正しいでしょう。
たまたま経験したことを将来の夢にする。
素晴らしい。
将来の夢を考えるために「経験をお金で買う世の中」だとするならば、少し違う気もいたします。
↑このような流れがねじ曲がって世の中に伝わると、、、結局、大学入試はお金持ちのためだけのものになってしまいます。
そうではないのですが、そうなりがちです。
ならば、
学力の方が平等ですね笑