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石川啄木の短歌 【一握の砂 抜粋】
小林一茶の俳句
松尾芭蕉の俳句
平家物語 【祇園精舎】
【現代語訳】(意訳)
祇園精舎の鐘の音は「諸行無常の響き」を伝える。
(釈迦の入滅時に白くなって枯れたという)沙羅双樹の花の色は、「威勢のある者も必ず滅びてしまうものである」という理を表している。
奢り高ぶった人もいつまでも驕り高ぶっていることはできない、ただ春の夜の夢のように「はかないもの」である。
勢いがあった者も最後には滅びてしまい「風でふきとぶ塵」とまったく同じである。
昔の中国の例を尋ねてみると、秦の趙高・漢の王莽・梁の朱伊・唐の安禄山、これらの人々はみんな元の主人や前の王様の政治にも従わず、楽しみを極め、人の諫めを聞き入れることなく、天下が乱れることを悟らず、民が愁う事も分かろうともしなかったので、栄華が末永く続かず滅びてしまった者どもである。
最近の日本の例を探って見ると、承平の乱の平将門・天慶の乱の藤原純友・康和の乱の源義親・平治の乱の藤原信頼、これらの人々は、奢れる心も勇ましい事もそれぞれ甚だしかったが、最近では、六波羅の入道・前の太政大臣 平朝臣清盛公という人の驕り高ぶり・横暴な有様を聞くと、なんとも言葉では言い表すことができないのである。
源氏物語 【桐壺】
どの帝のころだっただろうか。
女官(女御や更衣)が大勢お仕えなさっていた中に、たいして高い身分ではない方で、(帝の)寵愛を受けていらっしゃる方(桐壺)がいた。
最初から、自分こそは(帝の寵愛をうけよう)と気負っておられた方々は、(桐壺を)軽蔑したり妬んだりなさる。
(桐壺と)同じ身分やそれより低い身分の女官達は、さらに気が気では無い。
(桐壺は)朝晩のお勤めになるときも、他の人々の心をさわがせてばかりいて、恨みを受けることが積もり積もったせいだったのだろうか、(桐壺が)ひどく病弱になっていき、なんとなく心細い様子でよく実家に帰っていたのを、(帝は)ますます飽き足らず愛おしいとお思いになって、人々の非難を気にされることも出来ずに、世間の話題になるに違いないようなふるまいである。
大納言など高級官僚(公卿・殿上人)たちもなんとなく目をそむける状態で、まぶしいほどのご寵愛ぶりである。
「中国でも、このようなことが原因で世の中が乱れ悪くなったのだ」と次第に世間でも苦々しく思われ、人々の心配の種になり、(世間の人々が)「楊貴妃の事例」まで引き合いに出しかねないほどになっていくので、(桐壺にとって)大変不都合なことが多いけれども、もったいなく恐れ多いほどの(帝の)寵愛を頼りにして(他の人に)交じって(宮仕えをして)いらっしゃった。
枕草子 【清少納言】
徒然草 【兼好法師】
現代語訳などはこちらを参照下さい。
日新公 いろは歌 【島津忠良】
千曲川旅情の歌 【島崎藤村】
用語解説、現代語訳などはこちらを参照下さい。
雨ニモ負ケズ 【宮沢賢治】
高村光太郎の詩 【道程】【智恵子抄】など
坂村真民の詩
東井 義雄の詩
学問のすすめ 【福沢諭吉】
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われています。
つまり、天が人を生み出すに当たっては、人は同じ権利をもち、生まれによる身分の上下はなく、(動物の中で)もっとも優れている「人」として身体と心を働かせて、この世界の様々なものを使って必要な衣食住を満たし、
自由自在に、また、互いに人の邪魔をしないでそれぞれが心身に苦痛がないように、この世をすごしていけるように(天)がしてくれているということです。
しかし、この人間世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいます。貧しい人も金持ちもいます。また、社会的地位の高い人も低い人もいます。こうした雲泥の差とよぶべき違いはどうして出来ているのでしょうか?
その理由はかなりはっきりしています。
(江戸時代の寺子屋などで使用された)「実語教」という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である。」と書かれています。
つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのです。
また、世の中には難しい仕事もあるし、簡単な仕事もあります。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人といいいます。心を働かせて仕事をする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単なことが多いです。
だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く重要な人といえます。
社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものからみれば到底手の届かない存在に見えたりします。
しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いが出来ただけであり、天が生まれつき定めた違いではありません。
西洋のことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉があります。
つまり、
生まれた時には、貴賤や貧富の区別はありません。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っている者は、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になる、
ということです。
「現代語訳 学問のすすめ 斎藤孝 ちくま新書」参照 一部改
論語 【巧言令色鮮なし仁】
大学 【曽子】
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個別指導塾Willbe 音読課題への想い
兵庫県赤穂市の学習塾「個別指導塾Willbe」小学生の音読用見本です。
1分~2分で取り組める音読を行い、提出してもらう課題です。
現代の社会では、共通テスト/高校受験しかり頭の回転が速いことが求められます。もちろん小学低学年の間はゆっくり深く考えて欲しいのですが、スピードの向上も意識せざるを得ません。
音読を続けて行くと、いろいろな物事を素早く話せるようになったり、滑舌能く話す、分かりやすい言葉で話すトレーニングになったりします。
私は小さな頃から素晴らしい日本語に出会うべきだと思っています。
私自身は、高校時代の国語の偏差値は70前後でしたが、まったく国語の勉強をしてはいませんでした。古文も漢文も現代文もなんとなくこれだと思うことを選び、書いていれば正解していました。
今の共通テストと昔のセンター試験を比べるわけにはいきませんが、私が国語が得意だったのは、ひとえに小さな頃からの読書でした。夏目漱石の言葉には夏目漱石の言葉があり、世界観があります。
確かに、小学生に、大学/論語/走れメロスを音読為て貰ったとて、意味が分かるはずもありません。私も司馬遼太郎の小学校の頃に理解していたのかと言われれば分からない言葉が多かったようには思います。
しかし、それで良いのです。
様々な言葉に触れ、様々な言葉をリズム良く読むことで、「言葉の感じ」「雰囲気」を先に分かって欲しいのです。
その言葉に、後から中学生や高校生として出会ったときに、その言葉が概念として落ちやすいのです。
そうすると、
現代文を勉強する際に、現代文重要ワードを○暗記するという苦行が減っていくのです。
当然、弊塾には勉強が苦手なお子さまも得意なお子さまもいらっしゃいます。教科書を音読すれば勉強が得意なのか、不得意なのか一目瞭然です。小学校から出される課題でもっとも重要な宿題は、教科書の音読なのだろ思います。
赤穂の皆様にも、勉強が苦行になるまえに、音読に取組んでいただきたいなと、せつに願います。