今日は先日さらっとブログに書かせて頂いた「赤穂の野良猫を地域猫にする会」さんの続きです。
「赤穂の野良猫を地域猫にする会」さんは、
主として兵庫県赤穂市内の猫と地域住民との共生を目的とした条例の制定と、野良猫の不妊去勢手術費助成制度の確立を目指し、将来的には飼い主のいない猫をなくしていくことを目的として、TNRを実施しております。※当会は猫の保護はしていません。
https://ako-noraneko-chiikineko.crayonsite.com/
といった活動をされているそうです。
私は、こちらの会に知り合いがいるわけでも、猫が大好きで仕方ないわけでもないのですが、↓↓こちらのYouTubeを見て「なるほどな~~~~」と深く納得してしまった経緯から、こちらの活動が少しだけ気になっております。
根本は、頑張っている人をみると私自身も勝手に応援されている気になって気持ちが前向きになるだけなんですけどね笑。
「野良猫が増えることのいったい何が問題なんだ??」と思われる方は、ぜひぜひ、こちら↓↓YouTubeをご覧下さいませ。
さらに詳しく知りたい方は是非こちらを!!
活動に関わってらっしゃる方の顔が見えて、良い内容ですね。
クラウドファンディング??なんだそれ?? リターンがあることに気が引ける方は、2000円の応援(リターン;お礼の手紙)を選んで追加の支援を選択すればよいのではないでしょうか?
ついでに雑談
たまたま発見したCampFireの中身をよく読んでみますと、
2020年6月の動物愛護法が改正され、自治体で猫の殺処分が簡単にはできなくなりました。猫を愛護する上では喜ばしいことですが、市町村が何も対策をしなければ、「野良猫が増え続ける!」ということになり、今の赤穂市でも問題が発生しています!
https://camp-fire.jp/projects/view/520401?list=projects_fresh
といった内容が記載されていました。
総論賛成各論反対。
「『みんな』にとってより良い社会を」
ここまでは誰も反対はしないですが、具体的に「こういった社会を」と明言するとそれぞれの立場から「納得出来ない箇所」はどうしても存在するわけです。こういった社会問題は詳しくみればみるほど一筋縄ではいかないもどかしさを感じます。
「みんな」って誰なんだ?
50年ほど前は「みんな」が意味するものは、あるていど共通しており、「みんな」から想像する映像は同じような映像だったような気が致します。ところが、現代社会においては、社会が成熟して統合されると同時に、社会がこまかく細分化されていきます。
細かく細分化された社会の中では「自由」を得ることができます。私たち人間は社会の中でしか生きる事は出来ません。しかし、細分化された社会のなかでは「みんな」に「自分」を受け入れてもらうことは出来ません。「みんな」に自分を受け入れてもらうことが不可能であるため「不自由」を感じます。
一見自由に見えて不自由な社会においては、「自分の中に判断材料を持ち、軸を作る」必要があります。
「自分の中に判断材料を持ち、軸をつくる」とさらに不自由が生じる可能性があります。
だからこそ、
ありのままの自分を受け入れてくれる「みんな」を1つ選び大切に出来ることは素晴らしいのです。
中学生や高校生にとっても「みんな」について考えるキッカケになるのではないかと思います。国語の教科書に載っている「自己と他者」といったテーマの具体例は、身近にあるということです。
「赤穂の野良猫を地域猫にする会」の話とまったく関係ないですやん。
中学生に語りかけるならば。。。と思い書いてみましたが、失敗でした。
それでは今日はこの辺で!!