皆さん、こんにちは。
秦氏(はたうじ)の歴史を紐解くと、
必ずセットで登場するキーワードがあります。
それが「須恵器(すえき)」です。
須恵器須恵器と言われても、
何がなんだか笑
「ただの古い土器でしょ?」
と思うかもしれませんが、
実はこれ、
古墳時代中期の日本にとっては
「革命的なハイテク製品」だったんです。
赤穂市の歴史をより楽しんでいただく
前提知識として
今回は、須恵器がなぜすごいのか、
そして渡来人・秦氏との深い関係についてお話しします。
「須恵器(すえき)」ってなに?
縄文土器:1万年の伝統技術

縄文土器の製法
縄文土器は、
須恵器が登場する(5世紀)より遥か昔、
約1万6000年前から作られていた、
日本古来の土器です。
その製法は、須恵器とは驚くほど対照的です。
【製法の3つのポイント】
「手づくね(粘土紐積み上げ)」:
ろくろを使いません。
粘土を紐状(ひもじょう)にし、
それを輪っかにしたり、
渦巻き状にしたりして積み上げ、
手で形を整えます。
「野焼き(のやき)」
窯(かま)を使いません。
地面に浅い穴を掘り、
土器を並べ、
その上から薪(まき)を被せて燃やす、
焚き火のような方法で焼きます。
「低温」:
密閉されないため、
温度は600〜800℃程度
までしか上がりません。
須恵器(1100℃以上)に比べて低いため、
焼き締まりが弱く、
「赤茶色(あかちゃいろ)」で、
「水が漏れやすい」という特徴があります。
渡来人がもたらした須恵器の革命

縄文・弥生土器とは「次元」が違う
須恵器が登場するまでの日本の土器
(縄文土器や弥生土器)は、
地面に穴を掘って火を焚く
「野焼き」で作られていました。
しかし、
須恵器は須恵器は、
朝鮮半島(加耶・新羅)から
渡来人がもたらした全く新しい技術で作られます。
- 「窯(かま)」を使う:
山の斜面を利用した
「登り窯」を作り、
熱を逃がさないように密閉します。 - 「高温」で焼く:
野焼きが600〜800℃なのに対し、
須恵器は1100℃以上の高温で
焼き締めます。 - 「ろくろ」で成形:
粘土を手でこねるのではなく、
回転台(ろくろ)を使って、
薄くて均一な形を作ります。
その結果、
これまでの土器とは比較にならないほど
「硬くて、水が漏れにくい」
理想の器が誕生したのです。
須恵器は「青灰色」のクールな器
見た目もガラッと変わりました。
弥生土器などは赤茶色をしていますが、
須恵器は青みがかった灰色
つまり青灰色(せいかいしょく)をしています。
これは、
高温で焼いている途中に窯を密閉し、
酸素を遮断する「還元焔(かんげんえん)焼成」
という高度な技術によるものです。
この独特の色味は、
当時の人々にとって「最新式のブランド品」
に見えたことでしょう。
| 項目 | 縄文土器(日本古来) | 須恵器(秦氏が導入) |
| 焼き方 | 野焼き | 窯(登り窯) |
| 焼成温度 | 低温(600〜800℃) | 高温(1100℃以上) |
| 色・硬さ | 赤茶色・軟らかい | 青灰色・硬い |
| 水漏れ | しやすい(煮炊き用) | しにくい(保存用・高級品) |
| 形 | 厚手・複雑(縄目模様) | 薄手・均一(ろくろ) |
須恵器の奇跡
①水が漏れない=物流が変った
縄文・弥生土器は、
実は「ザル」に近いんです。
目に見えない細かい穴がたくさん開いていて、
水を入れておくと
少しずつ染み出してしまいます。
料理で煮炊きはできても、
お酒・酢・油・水といった
液体を長期間「貯蔵」しておくのには
向きませんでした。
須恵器は、
1100℃以上の超高温で粘土が焼き締まり、
ガラス質に変化しています。
そのため、完全防水。
お酒、醤油、お酢といった
「液体資産」を大量に、
長期間保存できるようになったのです。
液体が保存できる=「物流」が変わります。
重たい液体を船で遠くまで
運べるようになったのは、
須恵器のおかげなんです。
え?樽があるやん?

飛鳥時代にも木の器はありましたが、
それは
「くりぬき」や
「板を曲げて作ったもの(曲物:まげもの)」
でした。
これらは、
現代の樽のように「竹の輪」
でギュッと締め上げる技術がなかったため、
時間が経つと
隙間から水が漏れてしまいました。
- 木製品:
主に乾燥したお米や、すぐ食べる料理を入れるためのもの。 - 須恵器(秦氏の技術):
唯一の「完全防水・長期保存」が可能なコンテナ。
「樽」が登場するのは、
なんと1000年後!

日本で
「液体を大量に運べる木の樽」
が普及するのは、
室町時代から江戸時代にかけてのことです。

②「薄くて軽い」のに「金属のように硬い」
縄文土器は、
割れないようにするために
ぶ「厚く」作る必要がありました。
そのため、重くて持ち運びが大変です。
須恵器は、
ろくろ成形で限界まで薄く伸ばしても、
高温で焼くためカチカチに硬い。
叩くと「キンッ」と高い金属音がします。
須恵器は、軽くて丈夫なので、
大量に重ねて運べます。
現代のプラスチック容器が登場した時のような
「軽くて便利!」
という感動が当時の日本中に広がりました。
③「色」がステータスだった
当時の日本人は、
赤茶色の土器しか見たことがありませんでした。
そこに現れた、
金属のような光沢を持つクールなグレー
(青灰色)の器。
それが陶質土器(とうしつどき)
とも呼ばれる 須恵器です。
まさに「土器を超えた陶器の始まり」でした。
須恵器のすごさ
いかがでしたか?
秦氏の謎を紐解いていくと、
須恵器という言葉が頻繁に登場します。
渡来人の技術なんでしょ?
確かにそれはそうですが、
縄文土器と須恵器
樽と須恵器
を比べてみると
なんとなく須恵器の凄さが増しませんか??
これだけの技術革新が
古墳時代中期の日本で起きていた。
秦氏をはじめとする
渡来人のインパクトが少しでも
カラーにイメージが出来てくだされば幸いです。
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