秦河勝とは?坂越の大避神社と『秦氏の正体』を読み解く【2024/11】追加図書

勉強以外に大切にしたい教養

今日もブログを読んで下さってありがとうございます。

兵庫県赤穂市の個別指導塾Willbeの光庵です。

赤穂市坂越(さこし)にある大避(おおさけ)神社。

この神社に祀られている「秦河勝(はたのかわかつ)」という人物をご存じでしょうか?

赤穂にお住いの方でも、名前は聞いたことがあっても「結局、何をした人なの?」という方がほとんどだと思います。

まずはこの記事の結論として、秦河勝がどんな人物なのかを簡単にまとめておきます。

秦河勝(はたのかわかつ)とは何をした人か

  • 飛鳥時代に活躍した渡来系氏族「秦氏」の代表的人物。聖徳太子(厩戸皇子)に仕え、深く信頼されていました。
  • 聖徳太子が定めた冠位十二階で上から2番目の「小徳」に抜擢された、当時のトップクラスの実力者です。
  • 能楽など日本の伝統芸能の祖とされ、世阿弥も自著で秦河勝を能のルーツとして語っています。
  • 晩年は兵庫県赤穂市の坂越に移り住み、現在は大避神社の祭神として祀られています。
  • 渡来人ゆえに「秦氏=ユダヤ人説」など、謎やロマンの多い人物としても知られています。

……と、

ざっくり言えばこういう人物なのですが、

調べれば調べるほど「秦河勝って、結局どういう人なの?」という疑問が深まっていきます。

この記事では、関裕二さんの『寺社が語る秦氏の正体』を手がかりに、この謎多き渡来系氏族・秦氏と坂越との関わりを掘り下げていきます。

古代史・神社・渡来人・そして坂越のお祭りに興味がある方にとって、ちょっとディープで面白い内容かもしれません。

兵庫県赤穂市の進学個別指導塾Willbe図書館より11月の追加図書としてご紹介します。


『寺社が語る秦氏の正体』を読むきっかけ

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

寺社が語る 秦氏の正体 [ 関裕二 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2026/6/14時点)


Willbe図書館

Willbe図書館の今月の追加図書は、正直に言うと完全に私の趣味です(笑)。

生徒のことはいったん横に置いて、趣味に走った11月の追加図書です。それでも、坂越の歴史を知ることは、この土地で学ぶ子どもたちにとって決して無駄にはならないはず……と自分に言い聞かせています。

普段、絶対に出会わないものが、そこにある!

大事なことだと思っています。


「秦河勝って誰?」という長年の疑問と、坂越の獅子舞

獅子舞と私とお祭りと歴史

赤穂市の獅子舞については、こちらを参照くださいませっ

聖徳太子と秦河勝と坂越の船祭り

赤穂市坂越の魅力については、こちらに詳しくっ

母親の実家が坂越であったことも影響し、赤穂市坂越の船渡御(ふなとぎょ)祭りが私は好きでした。かつ、歴史も好きでした。なぜだか分かりませんが、小さいころに見た大河ドラマ「毛利元就」だとか、小説「真田太平記」(池波正太郎)「徳川家康」(山岡壮八)「坂の上の雲」(司馬遼太郎)にハマっていた記憶があります。

小学校や中学校では完全に浮いていました。そりゃ、休み時間にそんな本を読んでいたら浮きますよね。ぶっちゃけ“GLAY”も“ラルク”も“19”も“モーニング娘”もミュージックステーションもHeyHeyHeyも、休み時間の会話についていけないのはあまりにもマズいと思ったので、見たり聴いたりしているだけでした。(そういう意味では、今では中学生に「周りと違っていても大丈夫」と伝えられるようになりました。(爆)

小さい頃の疑問は、大人になってから解決される……はずだった

さて、そんなわけで坂越の大避神社が「秦河勝」を祭神としていることぐらいは知っていました。

普通は、小さいころに出会ったよく分からない知識は、年を重ねるにつれて再登場して解決してくれます。少なくとも心のノートにメモされているものは、何かしらのきっかけでどこかで解消されることが多いのです。

毛利元就も真田幸村も司馬遼太郎についても、小学生の頃と比べてだいぶ詳しくなっています。

このことは、小学生中学生に伝えたいです。

よく分からないモノを、よく分からないまま、隣においていても良いのです。

受験に関わる塾の先生が、そういうと怒られますが、

ベクトルの内積などなど、

いまはよく分からなくても、

一旦となりに寝かせておいて欲しいと思います。

いつか、再登場してくれます。

そして、あの頃より経験豊富で知識が増えているから、あの頃より分かるようになっています。

ところが、この「秦河勝」に関しては、私がいくら年を重ねても再登場してくれなかったのです。「聖徳太子(厩戸皇子)に気に入られていた」「渡来人」「日本の文化に影響をもたらした」といったことはなんとなく知っていましたが、それぐらいは10代の頃に知っていました。一向に、誰なのだか分かりません。

「秦河勝って誰?」が再燃したきっかけ

2024年は久しぶりに獅子舞の話題に触れることが多く、私の中の「秦河勝って誰やねん?」問題が再燃しました。少しネットで調べてみると「ユダヤ人」などというキーワードが出てきて「どゆこと??」状態です。

そこでっ! もう秦河勝と秦一族に詳しくなろうと、個人的にWillbe図書館へ『寺社が語る秦氏の正体』を追加した、というわけです。

坂越の大避神社と「12」という数字の不思議

ここからは『寺社が語る秦氏の正体』(関裕二/祥伝社新書/2018)を読んで、特に印象に残った点を紹介していきます。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

寺社が語る 秦氏の正体 [ 関裕二 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2026/6/14時点)


坂越・大避神社と秦河勝にまつわる風景

「秦氏とユダヤ人の関係」について書かれている箇所は、まったく私が知らない情報だったので一生懸命読んでみました。

その一説に、「梅原猛は、坂越大避神社では12という数字が重視され、祭礼にも『12』が頻出することについて、これがキリスト教とつながっていたひとつの証拠ではないかと指摘している」(P78)と書かれてありました。

確かにキリスト教やイスラムの世界では「12」という数字を大切にしている印象はあります。「12使徒」「12部族」といった言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。エヴァンゲリオンなど、いろいろな物語でもオマージュされています。

面白そうなのですが、「そう考えても良い根拠はいくつかあるが、よく分からない」という“歴史あるある”な結論なのは押さえておきたいところです。

なぜこの件が本書に記載されているのかは、正直なところ謎で仕方ありません。キングダムや三国志と同じように、「物語」「事実」「古い伝承」といったものは分けておく必要がありますね。

それはさておき、私にとって重要だったのは「坂越大避神社では12という数字が重視され、祭礼にも『12』が頻出すること」です。これは知りませんでした。

https://www.travel.co.jp/guide/article/5275

まず拝殿へ向う階段は12段。境内の井戸は12本の石柱で作られています。この神社への初穂料はその昔12銅で、今も12の倍数が収められているとか。また神社を守る社家も12家、祭りの日程も旧暦の9月12日、その祭りの祭礼船も12隻。ぜひ見てほしい拝殿の天井絵も、12×8枚あります。坂越を愛する哲学者、梅原猛さんの石碑を囲む石も12個。これは、河勝が12人の供人を伴っていたことからと伝えられています。
(出典:https://www.travel.co.jp/guide/article/5275/)

次回、大避神社を訪れる時(おそらく桜の季節。大避神社付近にある船岡園の桜もかなりきれいなんですよ)は、新しい目で大避神社を見ることができるかもしれません。ウキウキです。

仏教でも大切にされている数字「12」

とはいえ、

12という数字は仏教でも大事にされる場合(十二支、十二神将など)があります。

ユダヤと秦氏の関係については、ほかにも主張や言説の根拠はあるようですが、仮にユダヤ人がシルクロードを通って日本に訪れたとしても、それを直接示す証拠にはならないでしょう。

いまの時点では「だから何なんだ?」という気持ちです。

ただ、、、大避神社のパワースポット感は増しますね(笑)

タイミングがあれば深堀してみたい♪

日本書紀と秦河勝|「なぜ坂越に?」を歴史から読み解く

通説と教科書的な知識の整理

坂越の街並みと大避神社

なぜ秦河勝が坂越に来たのか?

私は、赤穂市のHPや坂越の船渡御祭りを紹介するHPに、もう少し詳しく書いて欲しいと、少し不満を持っていました。確かに、蘇我入鹿の事件が原因だったといったことは書かれております。

つまり、大化の改新、中臣鎌足、蘇我馬子、天智天皇あたりの時代です。中学の教科書的には、公地公民制(豪族が私有していた土地や人民を国家が直接支配する)、班田収授法(戸籍を作り、公地を公民に分け与え、死ぬと国に返させる)、租・調・庸の税制(公民に税や労役を負担させる)といったことがテストに出題される、あの頃です。

しかし、HPを読んでも釈然としません。

「大化の改新」や蘇我氏、中臣鎌足との関係を整理

大化の改新については、こちらのNHK DVDがおススメです。ただのドラマです(笑)。秦氏についての知識を深めようとするならば、やはり大化の改新前後の登場人物を一通り知っておく必要はあるかもしれません。(出演:岡田准一、渡部篤郎、木村佳乃、山口祐一郎、小栗旬など)

中古で探してみたのですが、なかなかの値段です。

日本書紀には、聖徳太子(厩戸皇子)が秦河勝オシで重宝しており、聖徳太子と蘇我氏は仲が悪かったと書かれており、

秦河勝は聖徳太子によって「小徳」(冠位十二階の上から2番目。聖徳太子が推古天皇11年〔603年〕に制定した日本初の冠位制度)に抜擢されていたそうです。

大化の改新前後のお話は、兵庫県知事選2024を上回る政治闘争だったり、壮大な兄弟喧嘩だったりします。そう考えると、政治闘争に打ち勝った「蘇我氏」から嫌われている秦河勝が、どこかに逃げなければならなかったというのも納得は致します。

そういえば上記DVDに渡来人が描かれておりましたが、あれは秦氏だったのかな? 記憶が薄すぎておぼえておりません。時代的には渡来人はいつだって重要な役割を果たしますから、秦氏もその一部で、有名人は秦河勝ぐらいではあるものの、結構な勢力を誇っていたのでしょう。

関裕二さんの疑問|「歴史に残る敗者の側の視点」を学ぶ

ここまでが一般的なお話で、「寺社が語る秦氏の正体」の著者・関裕二さんによれば、もっと奥深い仮説があるようです。「日本書紀によって仕組まれた上宮王家(聖徳太子とその子孫)滅亡事件のカラクリ」が重要だそうです。

つまり、

蘇我氏と秦河勝の仲が悪くて坂越に秦河勝が落ち延びてきたならば、蘇我氏は倒される側であるから、坂越に落ち延び続けたのはおかしい

とおっしゃっております。

確かに、蘇我氏が中大兄皇子らに倒された後に、秦河勝は中央に戻ることができますよね??

基本的に歴史は「勝者の記述」「勝者の権威」「正当性」みたいなもののために書かれていることが多いという前提に立てば、真実は別のところにあると言われると興味を持ってしまいます(笑)。いうなれば、教科書に書かれていない歴史の真実みたいな話です。YouTubeで流行りそうなタイトルですね(笑)。

聖徳太子 ⇒ 大化の改新

赤穂市の中学校が採用している教科書には、大化の改新周辺の件が『「律令国家」を目指して』という章で以下のように記述されています。

7世紀初め、反乱で滅んだ隋の武将が唐を立て……唐の皇帝は律令という法律で国を治め……唐は隋と同じく、積極的に周辺諸国に兵を送って高句麗(朝鮮)も攻撃したため、東アジアの緊張はさらに高まりました。(そのような情勢により)倭国は国家の仕組みを整える必要がありましたが、聖徳太子の死後、蘇我氏が一層力を強め、権力を独占してしまいました。中大兄皇子(天智天皇)は、中臣鎌足(藤原鎌足)らと図り、645年蘇我氏を倒して政治改革に着手しました。……この改革を「大化の改新」とよびます。しかし、その改革の実現にはこのあと50年ほどかかりました。

一般には、

大化の改新周辺の歴史事情の構図は、新しい国家(改革/律令国家)を目指すにあたり、既得権益側の蘇我氏 vs 改革派の中臣鎌足/中大兄皇子の政治闘争だった

と言われております。

また、

聖徳太子の「十七条の憲法」は「和を以て貴しとなす」という言葉が象徴するように、「理念」「スローガン」の集合体です。現在の法律・憲法とは少し意味合いが違います。

一方で、

律令とは「刑罰や行政法」のことです。

十七条の憲法の後に「律令」を志すわけですが、今まで自由を謳歌してきた人たちが、明確な「文章」「刑罰」によって縛られることを嫌うのは感覚的に分かりますよね。

自分たちの力で土地やお金を手に入れたにも関わらず奪われるのですから……。その辺が大化の改新周辺の混乱です。

関裕二氏の主張と、私の学び

関裕二氏の主張(7つの仮説)

「寺社が語る秦氏の正体」では、次のように主張されています。

なぜ秦河勝は坂越に来たのか?
  • 中央集権(改革派)賛成派は、蘇我氏だったのではないか?

  • 中臣鎌足/中大兄皇子こそ、権力に魅了された側ではないか?
  • 聖徳太子の存在否定。

    中臣鎌足/中大兄皇子が不都合な真実を隠すために、権力闘争において架空のエピソードを盛り込み、事実を捻じ曲げなければならなかった。
    それが聖徳太子一族。

    (赤穂市が採用している中学歴史教科書には、聖徳太子=厩戸王、と記述されています。)

  • 蘇我氏と秦氏は仲が良かった。

    秦氏は渡来人のなかでも日本に来るのが早い集団で、一定の地盤を築きあげており、蘇我氏との関係も良かった。

  • しかし、

    すでに地盤を築き上げていた秦氏にとって、蘇我氏が目指した中央集権を受け入れることはできなかった。

  • 実は?

    蘇我入鹿を倒したのは、中臣鎌足や中大兄皇子ではなく秦河勝だった。既得権益側の秦河勝は蘇我入鹿を倒したものの、中臣鎌足や中大兄皇子が続ける改革にもついていけず、中央に居場所を失った。

  • だから、坂越に逃れてきた。

……と主張されております。

なるほど、分かりやすい。論理だけ見てみると説得力があります。

しかし、私自身は日本書紀など細かい資料までは分かりませんし、時系列を完全に整理できたわけでもないので、これが事実だというつもりはありませんっ。

もう少しいろんな本を読んでみたい、というのが素直な感想であります。

そもそも「秦氏」=「秦一族(血縁集団)」なのか?

「氏」という言葉から、どうしても秦氏と言われると「血縁関係で結ばれた一族集団」というイメージを持ってしまいます。

しかし、この固定概念はどうやら「秦河勝って誰やねん?」を考えるにあたり邪魔のようです。ここを切り離せて、すこし個人的にすっきりしました。

秦氏の有名人といえば、今回の主役である秦河勝のほか、平安京の造営に関わった秦大津父(はたのおおつち)などが教科書(高校)に登場します

2人は、明確な直系の血縁関係(親子や兄弟など)を示す歴史的な記録はありません。

つまり、「秦氏」は

血縁関係を持った一族なのではなく、3世紀〜5世紀ころ、中国や朝鮮の状況が悪く日本へ移住してきた集団を、当時の日本政府(権力者)の都合によっていくつかの勢力として「秦氏」と呼んだ、

という理解がよさそうです。なるほど。


まとめ|秦河勝という人物の奥深さ

マニアックな登場人物が多いですから、この辺の歴史をあまり知らない方は、先ほどのDVDを鑑賞してから読まれても良いかもしれません。

「秦氏」とはいったい何者なのか、というテーマで読み進めていきますと、当時の税制度や国家統治のゆがみ、さらには江戸時代や昭和にまで通じる歴史の闇のようなものが繋がってくる。あらためて歴史の奥深さを感じた私です。

「寺社が語る秦氏の正体」は、「八幡神宮やそのほか神話と秦氏の関係」あるいは「なぜ、能・狂言・雅楽といった伝統芸能と秦氏が結びつくのか?」といった別の疑問にも答えてくれておりました。

東儀秀樹さんが坂越の祭りに参加された時、それっぽい有名人っぽい人が来たと嬉しそうに雅楽船を見物していた小さい頃の私にとって、なぜ東儀さんと坂越がゆかり深いのか、皆目見当もついておりませんでした。それはまたの機会と致します。

まさか観阿弥・世阿弥まで登場してくるとも思いませんでした。

詳しくは、こちらの記事にまとめました。

しかし、神社と神と渡来人と古代史の話は、にゃんとも複雑であります(笑)。実は秦河勝が、あの菅原道真や平将門にも匹敵するかもしれないぐらいの祟りをもって坂越に訪れた可能性もあるようで、にゃんともかんとも奥深いっ。

また、「獅子舞っていったい何なの?」という疑問も、秦氏を追いかけていくことで徐々に分かっていくような気がしてきました。

もちろん獅子舞には、

江戸時代に一般庶民が「文化」を堪能できるほど経済的な豊かさを持ちえたからこそ発展した、豊作の祈りである、祭りが盛んな地域と民俗性、娯楽として若者に消費された側面がある……

そういったことも面白いとは思うのですが、獅子や猿田彦の舞にはどのような意味があったのか、その一端が分かっていくかもしれません。

古代史の魅力と言われれば、事実かどうかはさておき、解釈と妄想の余地が残されているところが面白いのかもしれません。

近代史だと、なかなかそうはいきません。たまに時間を見つけては「秦河勝って誰やねん問題」に取り組んで参りまする。つづく。

秦河勝・大避神社をもっと深く知るシリーズ記事

この記事をきっかけに「もっと秦河勝や坂越・大避神社について知りたい」と思った方のために、関連するシリーズ記事をまとめました。順番に読むと、聖徳太子前夜から能楽のルーツまで、秦河勝という人物の全体像が見えてきます。

次に読むならこちらがおススメ

聖徳太子が登場する前の日本が、どのような時代であったのか?

そこを整理すると秦氏の存在が分かりやすくなります。

⛩ 坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ

秦河勝公と渡来氏族・秦氏の足跡をたどる全7回(+読書編1回)

兵庫県赤穂市坂越に鎮座する大避神社の祭神・秦河勝。聖徳太子の側近として活躍したこの謎多き人物と、その一族である秦氏について、古代史の視点から解き明かします。

聖徳太子前夜の日本 | 巨大豪族の黄金時代と秦氏の戦略【坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ⓪】
皆さん、こんにちは。 第1回では、 赤穂市坂越(さこし)に祀られる秦河勝(はたのかわかつ)の知られざる正体 についてお話ししました。何度も申し上げますが、彼は「赤穂ゆかりの有名人」といった言...
秦河勝の運命を変えた「中央政界の権力闘争」|坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ①
赤穂市坂越に眠る「秦河勝」とは何者か?聖徳太子の右腕であり、巨大な財力と技術で古代日本を支えたミステリアスな一族・秦氏。なぜ伝説のリーダーは都を捨て、坂越の地を選んだのか?地域の歴史を塾長が分かりやすく紐解くシリーズ第1弾!
日本書紀と秦河勝 | 「なぜ坂越に?」を歴史から読み解く|坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ②
皆さん、こんにちは。 前回は、6世紀後半に起きた「丁未の乱(ていびのらん)」のお話をしました。秦河勝(はたのかわかつ)は、聖徳太子や蘇我馬子とともに「最新の文明(仏教)を取り入れる側」として戦い、勝...
渡来人はどこから来たのか? | 海を越えてやってきた「古代の技術者たち」|坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ③
渡来人とは、4〜7世紀ごろに中国大陸や朝鮮半島から日本へ移り住んだ人々で、漢字・仏教・須恵器・機織り・土木などの技術を日本に伝えたっ!皆さん、こんにちは。坂越に語り継がれる秦河勝(はたのかわかつ...
須恵器とは何か?【坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ④】
皆さん、こんにちは。 秦氏(はたうじ)の歴史を紐解くと、必ずセットで登場するキーワードがあります。それが「須恵器(すえき)」です。須恵器須恵器と言われても、何がなんだか笑「ただの古い...
日本の形を変えた「火」と「鉄」【坂越・大避神社を楽しむ周辺知識シリーズ⑤】
秦氏がもたらした「鉄」の力は今どこに? 4世紀のたたら製鉄から、国宝を支える「備前長船」の刀剣、そして現代の「JFEスチール」へ。吉備・播磨がなぜ1600年もの間、日本のインフラを支える「鉄の王国」であり続けたのか。その壮大な技術のバトンを塾長が解き明かします。
世阿弥が明かした能楽のルーツ・秦河勝|坂越の大避神社に眠る芸能の源流【坂越・大避神社シリーズ ⑥】
このシリーズでは、赤穂市・坂越の大避神社に祀られる秦河勝(はたのかわかつ)という人物を入口に、地元・播磨の歴史を高校日本史レベルで紐解いていきます。【これまでのシリーズの流れ】古墳時代の...
秦河勝とは?坂越の大避神社と『秦氏の正体』を読み解く【2024/11】追加図書
今日もブログを読んで下さってありがとうございます。兵庫県赤穂市の個別指導塾Willbeの光庵です。赤穂市坂越(さこし)にある大避(おおさけ)神社。この神社に祀られている「秦河勝(はたのかわかつ)」という人物をご存じ...

あわせて読みたい

直接、歴史とは関係ないですが、文系学問については以下の書籍がおススメです。

Willbeへのお問合せは公式LINEから

ブログやお知らせなどをタイムラインにて定期配信中!

気が向いた時だけブログを読めるようになっております( ´∀`)

弊塾に対する相談・お問合せは公式LINEから!

友だち追加

タイトルとURLをコピーしました