小学生の音読を聞いていると、焦って早口で読む子がいます。
音読の目標を1分に設定していることも影響していますが、、、不思議なことに、、、ゆっくり焦らず正確に読んでもスピードは変らないのです。言葉の意味、係り受け、抑揚、句読点、、、ゆっくり丁寧に焦らず正確に!!
いつのことだったか、「小学校の宿題で1番サボってはいけない宿題は『音読』だ」とおっしゃる先生がいました。音読の重要性を頭では分かりますし、伸び悩む中学生が文章を読むことが苦手なことぐらい知っていました。2年ほど前までは「毎日生徒の音読を聞くのは無理だよね」と私自身が妥協していましたが、世の中がかわり毎日生徒の音読を聞くことが出来るようになりました。
やって良かった。
小学2年~3年生レベルの音読能力そのままに中学生~高校生になるお子さまがいらっしゃいます。
中学生に音読をやってもらい気がつくことは、誤字脱字が多い子は間違いなく音読をしても「読み飛ばし」「抑揚がなく」「修飾関係を無視」する特徴がありますね。ドリルを何回も大量に取組むのも良いですが、基礎学力が伴わない演習は結果的に苦行で終わります。
計算が速い。これがもっとも分かりやすくて成長が数字として目に見えるので速い計算に拘りがちですが、じっくりゆっくり、、、、毎日、毎日、小学生の音読を聞いていると1週間前~1ヵ月前と成長を実感出来ます。
中学生も小学生もテストで良い点数を取れる子=「基礎学力がある」ではないのが難しいところ。
確かに、共働きのお父さんお母さんが増える中で毎日お子さまの音読を聞くのは酷なことだと思います。やっぱり、1番サボってはいけない宿題は「音読」なのだと思います。
読む力を!!
脳と音読と読む力
音読は大切です。
国語の論説は、そもそも言葉が難しくなるので、中学生/高校生はまずそういう硬い文体を使った文章を読むための言葉のリズムや呼吸をつかむ必要があります。かなりの上位層であっても、実際に声に出して読ませると、言葉のかかり受けやイントネーションがおかしい箇所が多々あったり、辿々しくなる子はたくさんいます。
その辺が訂正できるだけでも、難解な文章の理解は進みます。
出来る子たちは、怪しい部分を脳が補填してくれるので、怪しい箇所があってもそこそこの点数をとってしまうのですが、微妙なニュアンス、1文字の見落としで意味が変化してしまい、選択肢で紛らわしいものに引っ掛かってしまいます。↑この「脳の補填」「勝手な解釈」「経験上そうだろう」と言ったものが、たまたま噛み合ってれば正解し、噛み合ってなければ間違えます。
結果、細かい差がわからず、選択肢を絞りきれないのです。
さらに、我々は、目の情報に支配されがちです。
目は、視界に入ったものをざっくりとこれまでの経験に照らし合して理解することに長けています赤い色を見たことがないものは、赤い色を見ることができません。目と脳がいかに有能な器官であると同時に、大まかな把握に支配されているのです。
この大まかさを矯正するのに音読は役立ちます。
黙読していると、目と脳の変換にとらわれます。
本や問題文を黙読しながら、しっくりこず何度も読み返すというのは「目の読み飛ばし」と「経験値からくる脳の判断」が噛み合っていないということなのでしょう。文章にそんなこと書いてないのに、そう書いてあるように読んでしまう。
無意識にフレーズ単位で読むのが我々です。特に、助詞(て、に、を、は、ほど、こそ、など)を読み飛ばしがちです。
キチンと文章を読める人であるならば、助詞を読み飛ばしても、脳と目の乖離は起こらないのですが(多分に、脳の経験値の精度が高いという意味において)、残念ながら、国語が得意でない人たちは、出来ないのに読み飛ばしております。
黙読していると、自分が読み飛ばしていることにすら気がつくことが出来ません。
音読の場合、1音1音を声に出して読むので読み飛ばしが不可能です。
だから、黙読以前に、音読のように1音1音しっかり読まねばならないのです。
音読がままならないのなら、脳内で音読することなど不可能なのです。問題を解くときは黙読が当たり前、問題を解くときの黙読は、音読のように1音1音しっかり読まなければならない。
脳内で音読する。
のです。
声を出せばそれで良いわけではなく、ゆっくり修飾関係や言葉の連なりを意識して、自分が発した音声を「聴く」ということをしなければ、音読していても無駄となります。自分に自分に語って聞かせるということをしなければ、いつまで経っても言葉の違和感を感じることは出来ません。数学が得意な子はブツブツ独り言を言っている子が多いです。
「ABが4だから、CDは8で~~~え〜」と言った感じです。
一部引用改
ちゃんちゃん。