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徒然草

小学生 音読見本




徒然草は鎌倉時代のすえに兼好法師が書いたとされる随筆です。




随筆


随筆は、特定の目的があるわけでもなく、自分が「見たり聞いたりしたこと」「それに対する感想」を自由に書く文章のことです。

現代で言うところのエッセー、Twitter、ブログのような感覚でしょうか?

もちろん、当時の感覚でブログや文章によってお金を稼ぐという感覚はないのでしょうから、それこそ「感じたこと、みたこと」をそのままに書いていたのかも知れませんし、徒然草の場合は、「だれか他の人が読む」なんてことを意識はしていないでしょうから、少し文章を書く感覚は今とはのでしょうね。







冒頭「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、、、」の書き出しはあまりにも有名ですが、「つれづれ」という言葉は「これといってすることのない、1人でいる寂しい心の状態」を表しているそうです。



小学生達からは「そんな楽しくもなんともない時間なんて必要ない」と言われてしまいそうですが、兼好法師からすれば「1人でいる時間を辛いという人はどういう人なのだろうか」ということになるのでしょうか?



自由に自分の考えをめぐらし、物事をみつめるためには「1人でいる時間」を感じることが大事だと兼好法師は言いたかったのかもしれません。



子育て中の保護者の皆様からは「1人で物思いにふける時間なんてないのよ」と怒られてしまいそうです、、、、、


1人で考え事をする時間も大切なんだよと感じながら小学生には音読して欲しいなと思います。



第92段  意訳


2本の矢を持ち、何度か弓を射る練習しようとした人に対して、師匠が「初心者は2本の矢を持ってはならない」「2本目の矢を頼ろうとせずに、1本目の矢でしとめようとしなさい」と忠告したそうです。


確かに、師匠の前でたった2本の矢をもったところで「2本目で当たればよい」などと思って1本目の矢をおろそかにするはずもないのですが、気がつかないうちに怠る心は、自分では気がつきにくいものです。


これは全ての道(ものごと)に言えることです。


人は自分の怠け(なまけ)心には気がつくことが出来ません。


仏の道で修行する人達は「夕方には翌朝があり、朝には夕方があると、、、」後の機会を頼みにして学習がおろそかになりがちだと知っているからこそ、そのときそのときで丁寧に修行する心づもりでいます。


今のこの瞬間を大事にして集中することの難しさがありますよね。


第117段 意訳


友達としてふさわしくない人は、七種類ある。

一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。
二つ目は、青二才。
三つ目は、病気をしない健康な人。
四つ目は、酒におぼれる人。
五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。
六つ目は、嘘つき。
七つ目は、欲張り。

良い友達には、三種類ある。

まずは、物をくれる友達。
2つめは、医者。
3つめは、賢い友達。



117段の内容は、私もよく分かりません笑。


なぜ兼好法師がそのように述べたのでしょうか??


健康な人は友達にしない方が良い??って変ですよね。健康すぎるから不健康な人の気持ちを分かってくれないという意味なのでしょうか? 確かにそうなのかもしれません。


共感してくれない友達は嫌ですよね笑


小学生からすれば体が悪い話ばかりする人もお断りという気がいたします笑






117段を書いたときの兼好法師は、そこそこ年をとっていて、、、あまり健康でなくて、、、お金もそんなに持っていなかったのかも知れません笑。(適当に言っています。)「若い人を友達にしない方が良い」なんて言っていますから、いろいろ聞かれるのが鬱陶しかったのか、、、何かを分かった風な物言いをする若者が嫌だったのか、、、教養がなさすぎて話していても楽しくなかったのか、、、どうなんでしょうね笑



兼好法師の人物像を想像するに、、、少し笑えます。



もうおじいちゃんやん笑







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