この記事について
赤穂の歴史というと、たいてい忠臣蔵から始まります。
観光パンフレットも、駅の看板も、大石神社も。赤穂=四十七士、というのが世間の認識です。
しかし、赤穂の歴史はもっと古い。
千年以上さかのぼると、そこには渡来人がいます。海を越えて技術を持ち込んだ人々が、坂越の入り江に到達している。
このページは、その古代から順に、赤穂の歴史を歩くための目次です。
書けているところと、まだ書けていないところを、正直に並べておきます。
① 古墳時代 ― 渡来人が来る前の日本
秦河勝の話をする前に、その時代の日本がどうなっていたかを知っておくと、話が何倍も面白くなります。
まだ「日本」という国の形が決まっていなかった頃。吉備や毛野といった地方の豪族が、それぞれの王国を持っていた時代です。
② 渡来人は、どこから来たのか
そして、海を越えて人がやってきます。
教科書では一行で済まされる「渡来人」。彼らがどこから、なぜ、どうやって来たのか。そして日本がなぜ彼らを厚遇したのか。
坂越の入り江が、その航路の上にあったという話につながります。
→ 渡来人はどこから来たのか?|海を越えてやってきた「古代の技術者たち」
③ 彼らが持ってきたもの(1)― 焼き物
渡来人が持ってきたのは、人ではなく技術でした。
1100℃の登り窯で焼く須恵器。それまでの土器とは、硬さも用途もまるで違う。古代のハイテク食器です。
④ 彼らが持ってきたもの(2)― 鉄
そしてもうひとつが、鉄です。
たたら製鉄が山を変え、吉備・播磨が「鉄の王国」になっていく。備前長船の刀剣から、現代のJFEスチールまで、1600年のバトンがつながっています。
⑤ 飛鳥時代 ― 秦河勝という人物
ここでようやく主役が出てきます。
聖徳太子の右腕。冠位十二階で小徳に抜擢された、飛鳥時代の超大物。
なぜその人物が、都を離れて赤穂の坂越にいるのか。
⑥ そして、坂越へ
秦河勝が眠るとされる場所が、赤穂市坂越の大避神社です。
祭神、船祭り、生島、見どころ、行き方まで。
⑦ 奈良・平安 ― 山奥に「もう一つの高雄」があった
時代を下ります。
赤穂の山奥、周世(すせ)。奈良の都から出土した木簡に「赤穂郡周…」の文字がある。そして、京都・高雄の神護寺と同じ名前の寺が、この山の中にあった。
→ 周世(すせ)の神護寺とは?赤穂の山奥に残る「もう一つの高雄」
⑧ 中世 ― 荘園の時代
「荘園を理解せずに日本史を語るな」。
中学生がいちばん苦手にするこの制度を、赤穂のまわりにあった荘園から見直します。
→ 「荘園」とは?中学生にもわかる仕組みと、赤穂のまわりにあった荘園
⑨ 室町 ― 能楽のルーツは、坂越にあった
話は飛鳥で終わりません。
室町時代、世阿弥が『風姿花伝』に「能の始祖は秦河勝である」と書きます。
坂越の神社と、金春流。1400年をまたいで線がつながります。
⑩ 近世 ― そして赤穂事件
ここでようやく、みなさんご存じの忠臣蔵です。
ただ、討ち入りの話はしません。
同じ事件が、時代によって「忠義の物語」にも「危険物」にもなってきたという話をします。江戸のエンタメ、戦前の国民的模範、占領期の上演禁止、高度成長期の理想の上司、そして現代。
→ 忠臣蔵は”忠義の物語”か”テロ”か|時代ごとに変わる描かれ方と「正義」の話
⑪ そして今に残るもの ― 獅子舞
歴史は、資料の中だけにあるわけではありません。
赤穂市内の獅子舞保存会は29団体。コンビニより多い。
秋になると、まちのあちこちで太鼓が鳴ります。あれも、千年の続きです。
番外編 ―「大避神社はダビデ神社」説
最後に、寄り道をひとつ。
坂越を調べていると、必ずこの説に出くわします。
秦氏=ユダヤ人説(日ユ同祖論)。学術的にはどう扱われているのか。それでもなぜ、この説は愛され続けるのか。
時代順から外れるので、最後に置いておきます。
→ 秦氏はユダヤ人だった?「日ユ同祖論」と大避神社=ダビデ説を検証
まだ書けていないところ
正直に書いておきます。赤穂の歴史で、まだ手をつけられていない大きな空白があります。
塩
赤穂といえば塩です。それなのに、このサイトには塩の記事が1本もありません。一番大事なところが抜けています。
中世の赤穂
鎌倉から戦国まで、荘園の記事以外はほぼ空白です。
赤穂城と浅野家
赤穂事件の「前」にあたる部分を書いていません。
近現代
明治以降の赤穂について、何も書いていません。
書けていないと分かっているものを並べておくのは、自分への宿題です。
このページは、書き足すたびに更新していきます。
赤穂市の学習塾 個別指導塾Willbe 光庵







