こんにちは。
兵庫県赤穂市の個別指導塾Willbeの光庵です。
中学時代までは、国語が得意だったにも拘わらず高校生になると、こんな声が増えます。
「現代文が感覚でしか解けない」
「選択肢で迷う」
「なんとなくで選んで外れる」
「何をいってるか分からない」
現代文が読めない理由は、
語彙不足でも、センス不足でもありません。
足りないのは――
“時代の前提”です。
高校現代文で頻出なのは、
- 近代
- 個人主義
- 人間中心主義
- 合理主義
- 資本主義
- 近代国家
こうした言葉たちです。
でも、これらはバラバラの単語ではありません。
全部、一本の流れでつながっています。
社会/経済/心理などあらゆる分野で1つに繋がっているのです。
現代文を読むことが苦手な場合、出題されるテーマが、細かいためまったく別物のようにみえているといえるでしょう。
大きな流れの枝葉だという視点を持つことが出来れば、「あるある」として問題文を読むことができるでしょう。
全○回のシリーズとして現代文「あるある」をお話して参ります。
「現代のオカシサ」を考えるために
正直に申し上げて、
世の中おかしいことだらけではありませんか???
不平不満がありますよね?
腹がたちませんか?
私達は、その疑問に答えたいのです。
いま私たちが生きている2026年において当たり前に起こっていることは、「近代」という時代が大きな影響を与えています。
そのために「近代」を理解する必要があると思っている人が多いのです。
現代文を学ぶ単純な理由として、私たちが生きている社会そのものが「近代」の延長線上にあると思ってください。
- 選挙がある
- 法律の下で平等
- 自由に進路を選ぶ
- 市場経済で働く
- 学校に行く
- 家族ってなんですか?
- 物理が発展するには数学の発展を待たなければならなかった
これらは全部、近代の産物なのです。
だから私たちが、
「今の社会はこれでいいのか?」
といった疑問を解消しようとすると、その疑問は必ず「近代の仕組み」にぶつかるのです。
前近代とは何か
まず「前近代」は、
- 社会の中心は“共同体”
- 身分や役割が先に決まっている
- 宗教が世界観を支えている
- 個人は共同体(ムラなど)の一部として生きる
といったキーワードで大雑把に説明することができます。
ヨーロッパなら
- 古代ギリシャ・ローマ
- 中世(封建社会・キリスト教中心)
日本なら
- 平安〜江戸時代
「身分制度」「封建制度」「武士の社会」などなど
このあたりが「前近代」に入ります。
前近代とは、ただ「昔」という意味ではありません。
それは世界の仕組み(ルール)の前提が違う時代という意味です。
だからヨーロッパと日本でスパッと西暦で区切るわけにはいきません。
前近代では、
「自分らしく生きる」よりも、
「与えられた役割を果たす」ことが重視される。
“個人より先に秩序がある”社会
これが前近代的世界観(当たり前)です。
細かく言うと、「当たり前」だとは言い切れない部分もあります。
「地球を1つの同じ言葉で説明して良いのか?」という疑問も残るでしょう。それは正しい感覚です。
そう思ったアナタはセンスがあります。
近代とは何か
近代の時代感覚
前近代から時代は大きく転換します。
近代では、
- 個人が中心になる
- 人間の理性を信頼する
- 宗教的権威からの自立
- 自由・平等という理念の誕生
- 国家という仕組みの成立
つまり、
「個人が、自分の理性で生きる社会」
が理想とされるようになります。
中学の歴史で学びました。
だいたい
- ルネサンス(14〜16世紀)
- 宗教改革(16世紀)
- 科学革命(17世紀)
- 市民革命(17〜18世紀)
この流れを経て、
近代が始まった と説明されます。
(説明されることが多い)
特に重要なのが
- 1688年 イギリスの名誉革命
- 1776年 アメリカ独立
- 1789年 フランス革命
ここで
「王様中心」から「市民中心」へと社会が変わります。
日本では
1868年 明治維新
ここが近代のスタートです。
- 身分制度の廃止
- 四民平等
- 学制発布
- 徴兵制
- 地租改正
- 憲法制定
つまり、
「武士の時代」から
「国家と国民の時代」へ移行します。
ここから、
個人主義
合理主義
人間中心主義
資本主義
が生まれて(広がって)いきます。
宗教的権威からの自立とは?
簡単に言うと、
「教会が言っているから正しい」という常識を
「本当にそれは正しいのか?」
と疑い始めること。
あれ?免罪符っておかしくない?
中学歴史の復習です。
16世紀ヨーロッパ。
カトリック教会は
免罪符を販売していました。
「これを買えば、罪が軽くなる」
「天国に近づける」
とされていた。
でも、ある人が思います。
お金で罪が消えるって、おかしくない?
それこそがマルティン・ルター です。
何が革命的だったのか
ルターの主張はシンプルです。
- 救われるかどうかは神が決める
- お金で救いは買えない
なぜか?
- 聖書を読めば分かる!
- 聖書にはそんなこと書いてない。
ここで重要なのは、
教会の言葉よりも、
ルターが自分で聖書を読む理性を信じた
という点です。
これが
宗教的権威からの自立という意味です。
余談ですが、
「チ。」という漫画が評価されていますね。
印刷技術によって人々は自立できるようになったともいえる時代です。
よければ是非。
何が変わったのか
それまでは、
- 教会が正しい
地動説Vs天動説 - 神の解釈は教会が独占
とされていましたが、これ以後
- 個人が聖書を読む
- 権威を疑う
- 理性で判断する
つまり、
権威 → 個人の理性
へと人々の脳みそが変化していったのです。
現代に繋げるなら「宗教批判しまくってきたけど、あれ?やっぱり宗教っぽいことが大切なんじゃね?」ということを主張している人は結構いますね笑
(私は仏教へ回帰したほうがいんじゃね?とか思ってしまいます。)
なぜこれが近代の始まり?
この動きは、
宗教だけで終わりません。
- 王様は本当に絶対か?
- 身分は本当に固定か?
- 国家は誰のものか?
という問いに広がっていきます。
そして最終的に
- 市民革命
- 人権思想
- 憲法
- 近代国家
につながります。
個人主義とは何か
個人主義とは、
「共同体よりも、まず個人を基礎に考える」
という立場です。
前近代では
「あなたは何家の誰か」が先でした。
近代では
「あなたはあなた」という存在になる。
これは解放(自由)でもあり、
同時に孤立の始まりでもあります。
ここが、入試現代文でよく問われるポイントです。(高校入試小説ではこの辺の心情を扱っているテーマが多くありますね。)
個人主義の具体例「進路の決め方」
前近代
「あなたは農家の長男だから農業を継ぐ」
「武士の家に生まれたから武士になる」
生まれた家で、ほぼ人生が決まる。
自分の希望よりも
家や身分が優先。
近代
「将来は医者になりたい」
「絵を描く仕事がしたい」
「東京で働きたい」
家に関係なく、
自分の意思で選ぶ。
これが個人主義。
孤独のはじまり
自分の意思で選ぶ。
良さそうですね。
自由という気がいたします。
自由を勝ち得た気がします。
でも、
中学卒業時、
高校を選ばないといけませんね。
友達と別れますよね。
進路を選ぶ際、
どうしてよいか分かりませんでしたよね?
誰も私の気持ちを分かってくれないと思いませんでしたか?
親と子でケンカしませんでしたか??
そういうものを「孤独のはじまり」といっています。
合理主義と資本主義
近代は理性を重んじます。
感覚や伝統よりも、
「合理的かどうか」が基準になる。
その延長に、
- 科学の発展
- 技術革新
- 市場経済
- 資本主義
があります。
社会は効率化され、
「計算可能」になっていきます。
しかし同時に、
「人間が手段化されるのではないか」
という批判も生まれます。
これも現代文の頻出テーマです。
理性Vs本能
お金。
便利ですよね。
お金はとても合理的です。
お金で「価値」を判断できればわかりやすいです。
でも。
あなたが大切にしているボロボロの服や人形やプラモデルを今売ると何円になるのでしょうか?
あなたに大切なものが1円にもならないとすれば悲しくありませんか?
合理的世界って悲しい世界にも見えます。
「人間が手段化される」とは――
人が“目的”ではなく、“道具”として扱われることです。
① 会社の数字だけで評価される
売上が出なければ価値がない。
成果がなければ存在意義がない。
→ 人そのものではなく、
“数字を出す機械”として扱われる。
② 受験だけが価値基準になる
偏差値が高い=価値がある
低い=価値が低い
→ 人間を
点数を取る装置として見る。
③ SNSの「いいね」文化
発言の価値が
「どれだけ拡散するか」で決まる。
→ 人間が
注目を集めるための媒体になる。
④ 国家や組織のための個人
「国のために」
「会社のために」
個人の幸福より
組織の目的が優先される。
→ 人が
全体の部品になる。
一言でまとめると
人が“それ自体で大切な存在”ではなく、
何かを達成するための道具になること。
これが「手段化」です。
なぜこれが入試で問われるのか
あらためて、お伝えします。
大学入試現代文は、
単なる文章読解ではありません。
大学で本格的に専門分野を見つけていくための基礎として存在します。
多くの評論は、
「近代をどう評価するか」
を論じています。
- 個人主義は本当に自由をもたらしたのか
- 合理主義は人間を豊かにしたのか
- 資本主義は幸福を保証するのか
こうした問いを読み解くのが、高校現代文です。
日本の近代はどう始まったのか
福沢諭吉に焦点をあてながら
近代というのはヨーロッパで始まった、ヨーロッパ人たちの頭の中身です。
「日本の近代化」についても少し触れておきます。壮大なテーマなのでザックリとご理解ください。福沢諭吉を取り上げておきます。
- 個人の自立
- 理性の重視
- 宗教からの解放
- 資本主義の発展
これが基本構造でした。
では、日本はどうだったのか。
江戸時代=前近代的社会
江戸時代は、
- 身分制度
- 家を単位とした社会
- 儒教的秩序
(儒教という秩序は都合が良いとも?) - 共同体中心の価値観
つまり、
「個人」よりも「家」「身分」が先にある社会。
これは前近代的世界観に近い。
明治維新=近代化の開始
そこから日本は急速に変わります。
- 身分制度の廃止
- 四民平等
- 学問の奨励
- 中央集権国家の成立
- 産業化
ここで登場するのが
福沢諭吉 です。
「天は人の上に人を造らず」
代表作は
学問のすゝめ。
冒頭の有名な一文。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これはまさに、
近代的平等思想といってもよいでしょう。
生まれではなく、
学問によって自立せよ。
ここに、
日本版・個人主義の出発点があります。
独立自尊という思想
福沢が強調したのは
「独立自尊」。
- 他人に頼らない
- 国家に依存しない
- 自分の理性で判断する
これはヨーロッパ近代の個人主義・合理主義と響き合います。
しかし日本の近代は少し違う
ヨーロッパでは、
宗教からの解放が近代の出発点でした。
日本では、
外圧(黒船・列強)への対抗が近代化の原動力でした。
ペリー来ちゃった。
日本ヤバい
占領されちゃう
急げ近代化
そのため、
日本の近代は「思想の成熟」よりも「国家の強化」が優先された。
そのため、
- 国家中心の近代
- 天皇制との結合
- 軍事国家化
という流れも生まれます。
ここが日本近代の特徴です。
つまり、
個人の自由よりも、
まず「国家として生き残る」ことが優先されたという側面があります。
中学のころに習った明治近辺の事件は、「国家として生き残る」ことが優先されたから起こったともいえるのです。
板垣死すとも。。。
明治政府の最優先は
- 富国強兵
- 中央集権
- 植民地化を防ぐこと
つまり、
強い国家づくりです。
そのため、
政治の主導権は政府(薩長藩閥)が握っていました。
こう考えます。
強い国家は必要だ。
でも、
国民の声を無視していいのか?
それが本来の近代化とはズレているのでは?
ここから
- 民撰議院設立建白書(1874年)
- 自由民権運動
- 国会開設要求
へつながります。
ここにある緊張関係
明治政府
→ 国家の強化が最優先
板垣たち
→ 個人の権利・議会政治を求める
つまり、
国家中心の近代
vs
個人中心の近代
のせめぎ合いが起きていた。
いまでもありますよね。
こういうこと。
士族反乱や自由民権運動は、
単なる不満ではありません。
それは
「国家のための近代」か
「個人のための近代」か
という方向性の違いです。
(ところで、福沢諭吉は、途中で絶望していたのかもしれません。)
(あれ?明治政府ちょっと違うくない?)
(おれ、政治ってゆーか学校つくる!!)
日本とヨーロッパの近代化
もう一度、まとめておきますね。
ヨーロッパ近代
→ 個人の自立が出発点
日本近代
→ 国家の強化が出発点
その結果、日本の近代化には
- 国家中心の近代
- 天皇制との結合
- 軍事国家化
という特徴が生まれた。
近代的自我とは何か
ここまで読んでくれた人は、きっとこう思うかもしれません。
「理性を信じる」とか「自律」とか言うけれど、
それを選ぶ“私”って何だ?
そこで出てくるのが
近代的自我という考え方です。
近代以前の「私」
前近代では、
- 私は〇〇家の人間
- 私はキリスト教徒
- 私は武士
- 私は村の一員
というように、
「所属」が先にありました。
自分とは何者か?
と問う前に、
すでに答えが与えられていた。
近代的自我の誕生
近代になると、こう変わります。
私は、私である。
身分よりも、家よりも、
宗教よりも、
内面の「私」が中心になる。
これが近代的自我。
実際の出題
- 京都府立桃山高校
内山節「自然と人間の哲学」
「近代的自我が成立した後、社会関係はどう再編されるべきか」「自立した個人が支え合う共同体とは」といったテーマで、以下のような出題があります。
| 年度 | 大学 | 出題テーマ(概要) |
|---|---|---|
| 2021 | 東京大学 | 公共性と他者との距離 |
| 2021 | 京都大学 | 個人の内面化と共同の意味 |
| 2021 | 大阪大学 | 市場的合理性と共感 |
| 2021 | 早稲田大学 | 社会と個人の関係性 |
| 2021 | 神戸大学 | 生きることと他者理解 |
| 2021 | 立命館大学 | 共同体と多様性 |
| 2021 | 同志社大学 | 自分/他者の倫理学 |
| 2021 | 関西学院大学 | 人間理解と社会 |
次回、「近代と現代の比較あるある」
現代文において「近代と現代」を比べて読むアルアルとして、近代的自我や共同体といった用語をもう少し詳しくお話ししてまいります。






