大人の凝り固まった常識を、子どもは子どもなりのやり方で軽く飛び越えていく。
本書の要約については、新潮社さんの要約にお任せ致します。
優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。
https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/
ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。
人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。
時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。
何が正しいのか。正しければ何でもいいのか。生きていくうえで本当に大切なことは何か。
世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。
連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。
赤穂市の学習塾「個別指導塾Willbe」の光庵です。今回は、毎月(のように)弊塾の生徒にお勧めしている本の紹介シリーズです。
赤穂市の小中学生達にオススメしたくて、ブレディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」をどんな言葉をもって語ろうかと考えていたとき、西加奈子さんの帯コメント↓に大変共感致しました。
隣に座って、方を肩をたたいて「一緒に考えない?」そういってくれました。絶対に忘れたくない友達みたいな本です。
https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/
塾の先生が大人のエゴとして小学生や中学生にオススメする理由はまさにここにあります。文章が美しい、読みやすい、面白い以上に「一緒に考えない?」と語りかけてくれるのです。まさに「一緒に考えない?」です。
事実、私は一緒に考えてしまったのです笑。
時代が進めばすすむほどに多様性の「様」は「多く」なっていきます。ジェンダー、LGBTなど、少し前にはなかった多様性を象徴する言葉が増え続けていきます。言葉が生まれることで逆に寛容でなくなる結果が生まれているのではないかと思うほどです。ややもすると重たい本のように伝わるかも知れませんが、私はあえて共感だとか感動ではなく「大人のエゴ」として子どもたちに読んでみて欲しいとおもえる1冊です。「多様性」「差別」「人と人がわかり合う」「マイノリティー」など実体験として経験していないことは、分かりようもなく意識を出来るはずもありません。
「人の気持ちを考えて」と言いながらそんなことは実際に出来るのでしょうか?
「私は差別をしていません」と思いたいが、そんなことは実際に可能なのでしょうか?
実体験出来るはずもないことを、ストーリーを通じて考えさせてくれる。これは、道徳の授業や社会の教科書で学ぶことよりも「社会」をより深く理解することに繋がると私は思います。もちろん、私が意図したこととまったく違うことを考えてくれても構わないです。
このようなテーマは、小学生や中学生にとって「読書こそが経験になる分野」です。
是非、一読あれ。
私がこの本を中学生に読んで欲しいなとおもったキッカケ。
たまたま↑こちらの記事「「差別があるままに他者と交わる世界に生きている」に出会い読んでいるうちに、ふと弊塾の本棚にある「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を思い出したのです。こちらの記事もじつに考えてみたいことが多い記事です。
差別を語ることが難しくなる世の中において、「優しい」世界にも差別があるということに気づいてほしいし、逆に「差別がある」にもかかわらず優しい世界があるという逆説的な世界とも出会ってほしいと思います。
どういうことなんでしょうね。。。
少し考えておりましたが、イメージが頭に思い浮かびませんでした。
それでは今日はこのへんで。